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人権とか民主主義とか、お金、宗教も、より豊かな暮らしができるという人生目標も、共同幻想

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中川淳一郎さんのツイートを山本一郎さんがシェアされていて、

これを見つつ、ここ最近感じていたことを書いてみたいと思います。

老後破産や最近取り上げられているひとり親家庭の貧困問題、さらには生活保護の財源の破たん懸念、最低限の文化的生活は日本の憲法に定められた事なんだから当然守られるべきという主張は建て前としては必要なんだろうと思います。

ただ、国の存在や憲法、法律のたぐいも共同幻想だということ認識しているかは大事なポイントではないでしょうか。

松井孝典氏の言葉を借りれば、あまりにも自分を支えているために真理と思いこみ、それなくしては暮らせないもの、それが人間の共同幻想。

わたしがこの「共同幻想」を知るきっかけとなったのは、ロジカルシンキングの講義の中で出会ったポパーの考え方に始まります。

反証(間違っていることを証明すること)が可能な理論は科学的であり、反証が不可能な説は非科学的だと考える。検証ができるかどうかは問わない。

こちらの考え方ロジカル・シンキング勉強した方なら漏れなくご存知かと思います。ただし自分を含め、多くの人は現実社会での矛盾や、本音と建て前の話などを安易に持ち出してしまい結果として論理的に考えることを突き詰めることは稀です。

しかし、わたしの場合は「現実は論理で出来ている」という考え方で講義をする先生と出会ったことで新たな展開を迎えます。

物事を理解していくには、前提となる知識の習得は勿論のこと、メカニズム、法則を見出すことが大事です。

自分がこのメカニズムを考える中で出会い、参考になった考え方は以下のようなものがあります。

自然を理解しようとするときの一つのやり方は、神々がチェスのようなすぐれたゲームをやっているのを想像してみることです。こうした観察から、ゲームのルールや、駒の動きのルールがどうなっているのかを分かろうとするわけです。(ファイマン)

神は賽を投げない(アインシュタイン)

幸福の達成がきわめて困難である最大の理由は、宇宙が人間の心を慰めるようには造られていないということである。(チクセント・ミハイ)
宇宙は敵対的でもなければ友好的でもない。それはただ無関心なのである。 (チクセント・ミハイ)

このような考えに触れたことで、「一切の現象は無常だ。儚いものだ。変化し続けるのだ」という仏教との共通点を見出したところで自分なりの納得感と、「物事の本質」とはなんだろう?という思いから、冒頭紹介した松井孝典氏の「コトの本質」という書籍と出会うことになります。

たとえば、「共同幻想」の解説として同書の中では以下のように書かれています。

  • それなくしては暮らせないもの、それが人間の共同幻想だ
  • 自然科学でいうところの普遍性に裏付けされた概念ではない
  • あまりにも自分を支えているために真理と思いこむ
  • 共同幻想の方向性を統制できるものが全体を動かす

そして、同氏が経験したソ連が崩壊という例を交えながら、すなわち近代国家というものすら共同幻想なのだと指摘します。

前述の老後破産、ひとり親家庭の貧困問題、生活保護の財源の破たん懸念などを放置することは国家として許されないですが、これをすべて解決できるとも言えない訳です。

人間圏の未来は、新たに提起される共同幻想と設定するゴールの方向性によっているとしたら、中川さんの言うように、いちいち制度とか社会に文句を言い、世間に支援を要請する方向に偏ることにわたしも危険を感じます。

なぜなら、山本さんの指摘されていた『「頑張っている人」が頑張った分だけ報われる社会であるべきで、そういう人が社会に蓄えた富や余力』がこういったことの実現には必要となるだろう考えるからです。

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