ネットは本を変えるのか
11月18日号のNewsweekの「ネットは本を変えるのか」という記事が大変おもしろかったのでここで紹介いたします。
―ウェブ時代に合わせて、これまでとはまったく違う書籍の在り方を考案すべき時期にきている―
―テクノロジー関連の大手出版社オライリーメディアの創業者ティム・オライリーは、自身のウェブサイトに載せたメッセージでそう主張した。
―オライリーいわく、今日の書籍は初期の映画に似ている。誕生して間もない頃の映画は「演技の舞台を固定カメラで映し続ける」ような感じだった。
―書籍の世界にもアマゾン・ドットコムの「キンドル」のような電子ブックリーダーが登場し、テキストからリンクをたどって多くの情報をチェックできるようになった。そうした技術の進歩に合わせて、出版社は書籍を出版する新しい形式を考案すべきだと、オライリーは主張している。
―オライリーの主張には、ウェブ時代が到来して、私達のものの読み方と学び方が値底から変わりつつあるという点も含まれている。その変化に伴ない、私達が本に求めることも大きく変わるかもしれない。
―「さまざまな資料や、ある主張うに対する反対論と賛成論、動画や音声、読者のコメントなどへのリンクがたくさん張ってあるウェブの世界は、書籍をオンライン化する場合に学ぶべきことをたくさん教えてくれる」
と、私自身も一通り納得、ですがおもしろいのがここから。執筆者は、オライリーの主張と正反対の影響が生まれて、これまで「本」に期待してきた機能をますます求めるようになるのではないかと、続けます。
―オンライン上で情報がただで手に入るのに、引用の集積に20ドル払う人がいるのはなぜか。答えはおそらく単純明快。各種の引用情報を有意義かつ読みやすい形にまとめる技術に、付加価値を見出すからだ。著者や読者が参照できる資料が増える中、情報を寄せ集めるだけでなく総合するプロセスへの評価が高まるのは、考えてみれば当然だろう。
―著者が調査の課程で読んだ3万ページもの退屈な資料を、わかりやすく300ページにまとめることだ。自分でそれをしたくないが故に、私は本を読む。
―参照という行為に中断されるべきものでもない。脚注についている資料を参照しない限り次のページに進めないなら、それは情報の統合に失敗した書籍ということになる。
―詰まるところ、書籍は人生とキャリアのある時点における著者の考案を捉えたスナップ写真だ。そこに収められた考察が別の著作でいかに進化するか。日ごとに内容が変わる書籍など、文化的虚無主義の極致であるだけでなく、著者の洞察の新鮮味や価値を疑わせる。
テクノロジーの進化によって引き起こされた情報過多という状況下、情報を取捨選択する能力がますます必要になってきていると感じます。そういった意味でも記者や編集者の需要も今後は減らないと思います。そして私たちはその一歩外のレイヤー(仕事や趣味や、その他もろもろ・・・)で情報の取捨選択をしなければならない立場にあることも忘れてはいけませんね。
以上、初投稿でした。