何度言っても持論が曲がらない人はダメな人材か?
上手に議事録をとるための第一歩として、私はいつも
「発言したとおりに正確な記録をとる」
ことを勧めています。
聞き取りにおいて、咀嚼・要約は大事なスキルだけど何よりも、
「言ったとおりに正確に聞き取れるという」ことは、何かあればいつでもその原文に戻れるという意味で、「最良の議事録」です。
ただ、自戒も込めまして・・・ついつい、応用に走る癖がついちゃうと、「正確に聞き取る」プロセスを端折り、すぐ咀嚼・要約をしてしまう。
これは、聞き漏らしや勘違いというリスクもありますし、経験的にですが、
「相手の言い間違いを正したり勝手に要約することは、時として失礼だったり不快だったりする」
ことも注意が必要なのです。少々高度な話とも思えるが、でもとても大事な留意点です。
つまり、「詳細まで言わないけど、行間はわかってもらえますよね」ならOKだけど、「せっかく丁寧に話してるんだから、勝手に要約してメモしないでよ」ってもし言われたら、やっぱりそれはNGだってことです。
ということで、じゃあ何度言っても持論が曲げられない人はダメな人材か?というと、そこまでいくとまた違う話で。。。
いわゆるイエスマンは、かえってコンサルタントには不向きです。
献身と従順はまったく違います。
だから、信念もって持論を展開することはダメじゃありません。
大事なことは、なぜそこが相手と折り合えないかだけが問題、そこがお互い十分議論できていれば、別に双方の持論が交われなくたって、ビジネスは成立することも多い。
あとは、持論を曲げたつもりでも曲がってないところがあれば注意点なので、前段の話のとおり、「あー、ハイハイ、わかってますヨ」みたいに勝手な咀嚼や要約をしたり十分に理解する前に自己流で行間読んでしまうのは技能として良くない。そういうことはないように努力して協議の雰囲気を作る継続的工夫は重要です。
クライアントの特性として、咀嚼や要約を嫌う相手だと思っているからこそ何度も同じ言葉遣いでしつこくシナリオを説明してあげても、それでも自分流に最後はアレンジして相手の期待に沿わない言葉や振る舞いが何度も登場して、せっかくいい技能が基本的に備わっているのにそういう一工夫が足りないだけで「普通」と仲間が評価されてしまったら、誠に惜しい話です。
曲げられなくてもいいけど、曲げられない中でどこまで周りとうまくやっていけるか、能動的に努力・工夫をしてもらうことが、そういうタイプの人の、成長課題だと思っています。
(自戒もこめまして・・・汗)