丁寧を冗長と言うなら、ガサツで乱暴な自分がその冗長に守られていることを忘れるなかれ。
昔何度か、丁寧も行き過ぎれば冗長だ、簡潔も度を過ぎればガサツなだけだ、と説いてきました。
相変わらず、どちらのタイプも存在します。どちらも精進が必要です。
ただ、最近さらに経験則が進んだ気がしています。
簡潔が度を過ぎてガサツな人を、丁寧が行き過ぎて冗長かも知れない人が、その抜け漏れをカバーできることに対して、
丁寧も行き過ぎて冗長な人を、簡潔が度を過ぎてガサツな人がカバーすることは、
実は難しい。
なぜかというと感情論に発展したときの説得力の差です。
感情論は気をつけているつもりでも実はコントロールが非常に難しい(私の立場において)。
常日頃、個人的には周囲に言ってるつもりなんですが、
Argument(議論)において大事なことは、感情論でいかに理論整然、丁寧に礼節ある言葉遣いで文句を言うかがカギなのです。
「どうして貴方様はかような事をおっしゃっていたにもかかわらず、ここへきて掌を返したかごとく、今このような手続きをあらためて変更要求なさるのです?」
口調は怒っていてもまあ構わないけど、これを普通の言葉遣いで、
「なんでアンタはこの前言ってたことをひっくり返していまさらこんな手順をやっぱり踏めなんてどういう神経してんだよ!」
って言っちゃうと、早い話、関係ない周囲が聞けば、これを吐いてる人間が負けです。
ビジネスはビジネス。事情を知らない関係者外の人であっても、どちらが正義かどちらが優位か、自然と知らしめて周囲の空気も味方にして交渉事を進めるのが本当に賢い人です。私はそう信じています。
簡潔を目指す人は、徹底して訂正や手戻りを発生させてはいけません。感情論への発展機会をとにかく閉ざしましょう。
冗長な人は、それ自体は欠点かも知れないけれど、訂正や手戻りを発生させたとき感情論を制するスキルがある(ポテンシャルが高い)ので、努めてそういうときにはリーダーシップを発揮するようにしましょう。
十人十色だから基本的な性格はどっちでもいいんだけど、最近、表面上あるいは当人自身は丁寧と思っている人の中に、実は性根はガサツな人がいまして、感情論になったときの対応ができない人がいるようです。
私もまったくもって問題ありありの未熟者とは思いながらも、だからといって後進がいるのに教育を放棄したら、相対的な未熟についての指導貢献もできないということになり、ようやく腰もあげて啓蒙や躾を、いいかげんそろそろ後進の世代のために伝承しておくかと決意した次第です。己の棚上げするつもりはないけれど・・・