信じて用いれば、信じられ頼られるように、なってくれるだろうか?
自分が「信用」されてないんだなあ、と感じると、非常に悲しくなるものだ。
こういうときは、もはや「信頼」関係など成立しない。
信じて用いられてないんだから、信じられ頼られている、わけがない。
ただ、逆説的にこうも考える。
自分の場合はどうか。
信じて用いないと、信じられ頼られるように、ならないのではないか?
こういう仕事関係ははっきり言って積み重ねだ。一度「信じる」ことをためらったり、ないがしろにしたりされたりすると、そのあとの「信用」「信頼」関係は再構築が難しい。
修復したようにみえてそうではなかったりすることも多い。
脱線するが恋愛関係なんかもそうだったなあ。「信用」「信頼」関係の傷は双方で認識が違うので遠い昔エントリしたように、上手くいってると信じて仕事に邁進していたらあっさり捨てられてしまったこともあるし(笑)。
自分が信じられてるとは限らない。
でも、だからといって、
自分が信じていないと話も始まらない。
時々、
自分が「信頼されてない」んだ、と思って、
そこで「信用」を止めたら本当にそれでTHE END、
どうしよう・・・それはだめだな、
「たとえ相手に信頼されてなくても信用しよう」
と奮起して、結果上手くいったときの教訓を、なんとか自分の士気の支えにして、ここまでがんばってきた気がする。
ただ・・・
みんなは正直なところ、どうなんだろうか。
そんなロジカルな考えと同期しているんだろうか。
「信頼」も「信用」も、微妙に使い方が難しい単語な気がする。
それだけに、普段のビジネス・シーンで、不用意に使わないようにとは留意はするが、果たしてそもそも結果主義の当職ビジネス・マーケットにおいて、みんながどう思っているか、最近、不安にもなる。
来週は、さらに、もっと、充実して、良い日が続いたらいいなあ。
(天国にいる盟友に、稚拙ながら本エントリを捧ぐ)