「息子に教えられる」くらいだから「部下に教えられる」ことは当然も当然
先日、躾の一環で3歳半の息子をきつく叱ったところ、涙をうかべて(泣かずに)必死にこらえている姿に妙に感動し、(こんな幼児が自我を持ち、もっと立派になろうと自制して強くなろうとしている)と、凄く襟を正された経験をしました。
自分では正しいと思っていても、「悪気はなく、でも結果は上位からみて良くないこと、つまり評価できない状況」だったとしても、それをきつく叱ったところで、当人はそれ以上、すぐにレベルアップする術もなく、ただただ悔しさをこらえて「もっと立派に成長してやる」と歯を食いしばっているような様子でした。
少なくともいくらか、自分の教育・指導姿勢が改善された気がしました。
ダメダメ言っても始まらない。
叱っても怒りすぎたら意味無しくらいはわかっている。
でも、それがわかっていても、何も許容せずに叱っていても成長が見込めないような気がしました。
なぜに幼児がヒーローもののTVにかぶりついてはしゃいで観ているのか、それは、いつか「頑張っていたら」自分が強く、立派になって、そして自分の努力が報われる、と学んでいると思ったんですね。
子供とは恐ろしい存在です。
「守ってあげる」姿勢が求められている気がするんです。
成長する意欲がある人間に、その阻害要因を与えることは、決してあってはならないと、その日、息子に教えられました。
思えば、丁寧に躾けたことは、叱られても決して泣かないし、常にポジティブです。
育児じゃなくて、ビジネスでも一緒で、感情的でないにしても、その丁寧さが相手を成長させる気がしました。
「部下が頑張ったことは称えて」、そして更なる改善をいかに自発的に気付かせるか、その手続きができるだけの自分自身のゆとりをいかに確保するか、それは公私関係なく、上位者の務めのようです。
「部下に教えられることが多々ある」ことは理解しているつもりですが、それの体験機会をいかに増やせるのかが、組織発展のヒントのように思える事象でした。
それにしても、子供というのは自分の幼児体験を如実に「再現」してくれます。
明らかに、そこにいた(涙をこらえる)息子は幼い頃の自分に生き写しでしたね。
まだまだ自分は誰にも尊敬されるに値しない、小さな人間だなあ。もっともっと、精進しなきゃです・・・