取柄を失う怖さ
時々TVで「大食い」とか「早食い」番組を見るたびに、「唯一の取柄」で凛と勝負に挑むその姿に、結構感心させられます。
・・・ホットドッグの早食い競争6連覇中の小林尊さんが、あごの関節症に苦しんでおり、ほんの少ししか口を開けられない状態で、ライバルの米国人男性が先日、小林さんの記録を破った後だけに、米メディアが感心を寄せています。
実のところはいろんな生業を立てる術はあろうかとも思いますが、なぜにその人が著名かと言えば、その「無敵の取柄」が炸裂しているわけで、もしこのまま病気に苦しみ、取柄を発揮する術を失ったら、さぞかし悲しいことだろうと、自分のことのように心配になったりしております。
我々も仕事をしていく中で、得意技、必殺技というか、「勝ちに持っていくパターン」みたいなものがあり、それを拠り所に、修羅場だ土壇場だ正念場だとやらを、うまくやり過ごしていく割合は、実は多いのではないかと思っています。
ところが、あるとき、差別化されていると思っていたその「技」が、いわゆるコモディティ化してしまったら、それはもうショックの一言ですね。
特に、病気や怪我でしばしのブランク、その後現場復帰して「さあ、やるぞ!」と思ったときにはライバルに先を越されていて・・・いやあ、悲しいよなー。怠けていたつもりがないだけに。
一方で、そんなリスクやら不安やらを一笑に付し、「俺はこれで勝負してやる!」って言い切れる・・・すごーい素敵なことです。
コンサルファーム、あるいは帰属する不肖なり誰なりコンサルタントや組織の単位に、得意な「取柄」があるはずですが、お客様はそればかりを注文してくるわけでもありません。
最初は取柄の部分が発注動機かも知れないけど、お客様に気に入られればこそ、「次はこれも是非」「その次にこれはできますか?」と、(良い流れではあるわけですが)エスカレートしていくと、取柄じゃない領域にも「背伸び」してサービスを提供しなければならなくなるわけです。
なまじこれに大体に応えていけたりすると、自分の中で「本来の取柄」の存在価値が下がり、「何でもやれる!」と勘違いし、しばらくして気がつくと「取柄が1つもなくなっている・・・!!」
「僕はこれで勝負しているんです。これが私の取柄なんですから!」って、胸を張って言えるようないつもでいたい。
小林さんの復活を願いつつ、
取柄を一時も忘れず、
常に磨き続け、
もちろん他のことも少しでも良くできるように努力もしつつ、
八方美人的な「色気」は出さずに、
冷静にビジネスを追っかけていかねばなー、
と、今日思ったりもしたのでした。