小津安二郎監督の青春時代の挫折体験
松阪市観光シリーズ(?)の続きですが、小津安二郎青春館というのがあると聞いて行ってみました。
中はこじんまりしていましたが、大きいモニターで小津監督の少年時代を紹介したミニムービーを見せてもらいました。少年時代に使っていた机や、描いた絵など、いろいろな資料も展示されていました。
小津監督は“江戸店持ち松阪商人”の子供として生まれましたが、子供は郷里で育てたいという父親の方針で、9歳のときに父親の郷里の松阪に移住して、19歳までの青春期を、わりと自由奔放に過ごしたそうです。宇治山田中学校(現在の宇治山田高校)在学中に、下級生に付け文したという事件で停学になり、寄宿舎から追放処分を受け、自宅からの汽車通学となり、結果的にこれが幸いして自由になり、自宅の近くにあった映画館「神楽座」へ足繁く映画を見に通うようになったことが、後に映画監督になったきっかけだそうです。
その後も、神戸高商(現在の神戸大学経済大学)を受験して落ち、浪人した後に受けた三重県立師範学校も落ちて、1年間小学校の代用教員をやった後、19歳のときに東京に戻り、親類のつてで松竹蒲田撮影所に入ったとのこと。受験で失敗してなかったら、映画監督にはなっていなかったかもしれません。
私は自分史講座で、過去の事実は変えられないけど、過去の解釈は変えられるという話をよくします。当時は失敗や挫折だと思っていたことが、後からそのできごとの意味を考えてみると、実はその失敗や挫折があったからこそ、後の成功があることがわかることがよくあります。この小津監督の寄宿舎追放や受験の失敗もその典型例ですね。そのことがわかると、失敗や挫折をむやみに恐れる必要がないことがわかり、リスクにチャレンジしやすくなります。ぜひ「過去の解釈は変えられる」という視点で、自分の過去を振り返ってみることをおすすめします。