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飯舘村役場(飯野町)と南相馬に行きました

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復旧・復興支援制度データベース」の説明会の仕事で、福島県に出張しました。今回訪問したのは、飯舘村役場と南相馬市役所です。

3月の原発事故によって飯舘村は全域が計画的避難区域に指定されました。6月に飯舘村役場は福島市飯野町に移転して、飯舘村役場飯野出張所となっています。

JR福島駅で福島県のチームメンバーと合流しました。飯野出張所は福島駅から南に車で30分ほど行ったところにあります。道路をはさんで役場の反対側にある道の駅のような施設は、飯舘村村民の相談所として使われていました。避難生活が続いていることを実感します。

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飯舘村役場での説明会が無事終了し、次は南相馬市に向かいました。私は昨年夏に福島市から国道115号線で山越をして相馬市に行ったことがあります。今回のルートは前回より南側で、福島第一原発に近くなります。途中で飯舘村を通りました。商店が閉まっていて人気のない町になっていました。

南相馬市はNHKスペシャル 「東北 夏祭り ~鎮魂と絆と~」で取り上げられた勇壮な祭り「相馬野馬追」で有名な太平洋に面した町です。地震、津波、放射線の三重の被害を受けました。市域が警戒区域、計画的避難区域、緊急時避難準備区域、そして制限がない区域の4つに分断されました。(追記:緊急時避難準備区域は2011年9月末に解除されました。)

南相馬市役所とJR原ノ町駅を含む中心街は、緊急時避難準備区域にあります。震災前は東京から常磐線の特急で約3時間で来ることができました。常磐線が警戒区域で分断されたままになっているため、今は郡山や仙台から迂回しなければいけません。

午後の説明会まで時間があったので、南相馬市博物館を見学しました。社会見学で来ている小学生の団体といっしょに、館内のシアターで南相馬市の紹介ビデオを観ました。南相馬は古くは貝塚ができるほどの人口が多い地域でした。平安時代は先端産業の鉄の産地だったそうです。歴史と文化があって山海の幸に恵まれた場所と思いました。放射線の被害が本当に残念です。

帰路に再び飯舘村を通って福島市に戻りました。途中で福島市内であるにもかかわらず放射線量が高いことが問題になっている渡利地区を通りました。このあたりは飯舘村と違って都市の市街地でした。

どこに行っても放射線の話題から離れられないことに、福島県が置かれた厳しい状況を感じました。

参考

警戒区域

東京電力株式会社福島第一原子力発電所半径20km 圏内の安全・治安を確保するため、原子力災害対策本部長たる内閣総理大臣が関係市町村長に対し、避難指示区域を警戒区域に設定することを指示(原子力災害対策特別措置法に基づく指示)。当該指示に基づき、関係市町村長は、4月22日午前0時に警戒区域を設定。

これにより、当該区域に消防隊、警察、自衛隊等の緊急事態応急対策に従事する者以外の者が市町村長の許可なく立入りを行うことは禁止されることとなる(違反した者に対しては、10万円以下の罰金又は拘留)。

計画的避難区域

事故発生から1年の期間内に積算線量が20ミリシーベルトに達するおそれのあるため、住民等に概ね1ヶ月を目途に別の場所に計画的に避難を求める。

国際放射線防護委員会(ICRP)と国際原子力機関(IAEA)の緊急時被ばく状況における放射線防護の基準値(20~100ミリシーベルト)を考慮。

緊急時避難準備区域

福島第一原子力発電所の事故の状況がまだ安定していないため、今後なお、緊急時に屋内退避や避難の対応が求められる可能性が否定できない状況にある。

このため、緊急時避難準備区域においては、住民に対して常に緊急的に屋内退避や自力での避難ができるようにすることが求められる。

※緊急時避難準備区域は2011年9月末に解除されました。

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