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once a fanboy, always a fanboy ――いい歳なのに与太話はやめられない

iPhone 5発表に見るAppleの限界(※ 釣りタイトルにつき注意)

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 本日、日本時間の未明にAppleがiPhone 5を発表した訳だけど、その内容はほぼ事前にリークされた通りのもので、ジョブズ在りし頃の「One More Thing」的な驚きを期待していた向きにはちょっと物足りない内容だったのかもしれない。

 事実、今回の事前リーク情報は、尽きることの無い大量のネタが巷にあふれだし、しかもそれらの内容の多くは結果的にかなり正確だった。

 こういう状況を見て、世間には「ジョブズが生きていればこんなことは無かった」みたいな論調もあったりするけれど、それはちょっと違うと思う。

 おそらく、Appleという企業の活動規模が大きくなりすぎて、しかも世界中がその動向を注視するようになってしまったがゆえ、以前のように秘密裏に事業を進めて、完全な市販モデルを量産して流通経路も確保しつつ、発売直前の発表日まで隠しておくというようなことが、事実上不可能になったということだけなのだろう。

 考えてみれば、Appleが世間から期待される規模というのは、以前はかなり小さかった。単にIT業界の片隅で一部の熱狂的な人達だけが、次は何を出すのだろうとワクワクしているだけだった。だから、発表日までは全てが内緒という「お約束」も、一つのロールプレイとして可能だったのだろう。

 いまやAppleの動向は、世界経済の動きを変えてしまうほどのインパクトを持っている。

 つまり、もはやあの「お約束」を守ってくれる人達だけを相手に商売することは出来なくなったのだ。そう、Appleにも限界はやってきてしまったということ。

 当然、Appleは今後もあの秘密主義を貫いていくことだろうけれど、ビジネスの規模が巨大化すればするほど、新製品が発表される時には、全て周知の事実だけという、なんだかちょっとつまらない事態になってしまうことだろう。ただ、そんな風になってしまっても、「やっぱり欲しい!」と思わせてくれるような製品をAppleが送り出し続けることを期待したいのが、1ファンとしての素直な気持ちだったりして……。

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