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once a fanboy, always a fanboy ――いい歳なのに与太話はやめられない

電子書籍で本一冊を読む自信ありますか?

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 iPadが発表されて以来ここ数日、多くの人達がネット上で電子出版について熱心な議論を繰り広げている。その勢いは、Kindleが登場した時を優に上回っているようにも思える。

 確かに、出版にまつわる流通システムやビジネスモデルが電子書籍の登場によって今後どう変わっていくのかは、大いに関心を抱かせるトピックではある。

 しかし、そんな遠大で高邁な経済・ビジネス・社会論よりも、自分とってずっと気になることは、果たして何百ページもある本一冊分の情報量を、あの液晶画面だけで読み通せるだろうかという不安だ。

 正直な話、ちょっと情報量の多いPDFなどを資料として読まなければならない時、できれば紙に印刷したいと思うし、実際に印刷する機会も少なくない。ただし、何百ページもあるマニュアルを印刷するのは、さすがに物理的にも経済的にも無理がありすぎるので涙をのんで我慢しているけれど(某社のDAWが紙のマニュアルを廃止してかなり困惑中…)。

 そんな訳で、自分には「本」というまとまった情報を液晶画面だけで読む自身が全く無い。

 一方で、物心ついた時には携帯電話やパソコンが当たり前というデジタルネイティブな世代であれば、液晶画面でも大量のテキスト情報を難なく読めてしまうのだろうかという疑問がある。

 これについては、翻訳家の渡辺由佳里氏がツイッターで以下のような発言をされていて興味深い:

娘の高校のEnglish(日本で言えば国語)の時間に教材を読むのにKindleを使うことについてディスカッションがあったが、中学から宿題はすべてコンピュータで書くテクノ時代の彼らでも圧倒的に「紙媒体でないと嫌」という結論だったらしい。

 この話だけをもってして何かを判断するのは拙速ではあるけれど、やはりまだ人間にとっては、テキストを読むのなら紙のほうが気持ち良いということなのかもしれないなぁと思ったり。

 もちろん将来的には、現在の紙と同等もしくはそれ以上に、電子書籍を読みやすく表示できる技術が開発されることだろうし、また同時に、人間の感覚も電子書籍に最適化(?)されていくことだろうから、自分のような老人が「紙のほうが…」と何かブツブツ文句を言っていたとしても、それは単なるノスタルジーという訳だ(笑)。

 で、最後に蛇足ながら、多分に偏見なのかもしれないけれど、音については、MD以前と以後で、それぞれの世代が共有する感覚が微妙に違っているような気がする。そして、ケータイ着うた以前と以後でも、そういうギャップが生じている可能性はあるのじゃないかなと思ったり……。


PS. この文章を書いた後に、「モバイル世代の読解力低下に懸念、グーグルCEO ダボス会議で」という記事を発見。ふーむ……。

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