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once a fanboy, always a fanboy ――いい歳なのに与太話はやめられない

スマートな電話だからこそ出来そうなこと

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 先日、親戚の集まりで、携帯電話が不便だという話になった。

 どういうことかというと、高齢者が携帯電話を使おうとする際、インタフェースが複雑で使い方を覚えられないので、結局自分にとって便利そうな機能があったとしても、それを使えないままでいるというのだ。また、たまに間違って意図しないボタンを押してしまうと、普段使いなれない画面へ遷移してしまい、元に戻れず苦労するという。

 なるほどと思い興味を覚えたので、その後、最寄りの大型家電量販店に行き、店頭に並ぶ端末を見て回ったが、確かに高齢者向けのシンプルなモデルとされているタイプでも、そのUI設計はお世辞にもシンプルとは言えないような気がした。

 ホットモックをいじってみると、確かに画面に表示される文字は大きいけれど、機能を呼び出すための段取りは、旧来からあるあの何度もボタンを押していくつもの階層を辿るという手法であり、あまり直感的とは言えない。しかも筐体自体は片手操作を前提に設計されているため、ボタンの大きさや配置も必然的に小さく集中した形となり、もしかすると細かい操作が苦手な高齢者には扱いずらい可能性もあると感じた。

 店頭には無かったが、割り切って通話機能しか搭載しないモデルも用意されているとのことだったが、しかし、実は高齢者でも通話以外の機能を使えるのならそれはその方がありがたい訳で、特に親戚の集まりでは万歩計の人気が高かった。

 高齢者向けの携帯電話だからといって、単に機能を省いてシンプルにすれば良いということではないだろう。本来は、各人がそれぞれ使いたい機能へ簡単にアクセスできるという設計が必要なのだと思う。そして、そういうカスタマイズを簡単に実現できるのが、実はスマートフォンなのじゃないだろうか。

 もちろん、だからといって、カスタマイズの自由度が高いスマートフォンをそのまま高齢者へ手渡すのは無理がある。素のスマートフォンのままでは、それこそ何をどう使って良いのかわかりにくい。

 そこで、高齢者のニーズに沿った機能だけを使えるようにしたスキン的なものを提供するサービスがあれば良いのではないかと思う。例えば、電話機能と万歩計とカメラと写真アルバムだけにアクセスできて、その機能間をシンプルに行き来できるインタフェースを提供すれば、散歩好きな高齢者から歓迎されるかもしれない。

 高齢者向け支援事業を提供する諸団体とオープンソースコミュニティが協力しあうことで、このような高齢者向けスマートフォン実現に向けたプロジェクトがあっても良いような気がする。

 スマートフォンというからには、単に機能が天こ盛りだから「スマート」なのではなく、スマートに使えなければ意味がない。そして、スマートフォンだからこそ出来ることは色々ありそうだ。

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