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once a fanboy, always a fanboy ――いい歳なのに与太話はやめられない

いまだ惑い、天命も知らず…

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 論語によると、「五十而知天命」ということで、50歳にして天命を知るのだそうだ。しかし、自分は40歳を越えても惑ってばかりで何もなしとげられていないし、おそらく50歳になっても天命を知ることは無いような…。

 昨年1年間は、とあるNPO(特定非営利活動法人)でフルタイムのお手伝いをしてきたが、社会状況の変化による影響等もあり、組織体制の見直しが行われ、その結果自分は退職ということになった。

 振り返ってみると、自分が関わったことにより成し遂げられたこともあったにはあるが、しかし、それよりも、目標を掲げながら成し遂げられなかった事柄の数々ばかりが気になってしまう。とくに失敗だったのは、運営にまつわる資金のやりくりだ。

 NPOでは普通、その活動継続資金の多くを寄付金や会費に頼ることになる。その寄付金集めにおいて自分は、年間事業計画にある目標の3分の1にも満たない額しか集めることができなかった。この結果は痛かった。

 確かに景気が悪く、企業や個人の多くが、NPO等への寄付金を拠出しにくい状況ではあった。しかし、やはり一番の原因は、多くの人々へ寄付を募るための営業・広報活動を上手に展開できなかった自分の非力さにある。この事実は大いに反省しなければならないし、もし今後同じような仕事をする機会があるとすれば、何を改善しなければならないのかを今から考えておく必要があるだろう。少なくとも、自分は営業に向いていないことを今回強く思い知らされたので、営業活動に強いスタッフを味方につけることはマストだ。

 ところで、日本の税制度におていは、個人によるNPOへの寄付行為の多くは、税控除の対象とならない現状がある。もちろん例外はあり、国税局から公益性の高い活動をしていると「認定」されたNPOについては、個人からの寄付でも税金控除の対象となるが、そういったいわゆる「認定NPO」となるために満たさなければならない要件の敷居は非常に高い。従って、日本国内で活動するNPOの多くは、国税局から認定されることを端から諦めているのが実情だ。そして、そういった非認定状態のNPOへ個人で寄付することは、税的になんらメリットがないため、結果として寄付をすることへのインセンティブが低い。また、法人が寄付する場合も、認定と非認定のNPOを比べた場合、控除の内容に差があるため、やはり寄付するのであれば認定NPOの方が好ましいということになる場合が多い。

 昨今、国として対応出来ない公益活動については、NPOに期待したいというような内容の発言を政府関係者が口にすることもしばしば見かけるが、しかし、NPOの活動を継続するための寄付金拠出においてインセンティブが低い状況を改善しない限りは、それは難しいのではないかと思う。インセンティブがなければ寄付しないのは本当の善意ではなく、ただの偽善だと考える人もいるだろう。自分も以前はどちらかといえばそういう思いが強かった。しかし最近は、その結果が社会のために本当に役立つ行為であれば、たとえ偽善でも良いのじゃないだろうかと考えるようになった。

 もちろん社会貢献は、NPOのような非営利活動だけが実現できるのではなく、企業などの営利活動を通じても実現できる訳であり、その辺りのバランスも考える必要がある。何でもかんでも、非営利な活動だけが善であり、営利を目指す企業は悪というような二元論は勘弁して欲しい。理想だけで生きていくには人間社会は複雑で巨大すぎるし、営利が無ければ非営利の活動を支援することも出来ないのだから。

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