年賀状の宛名書きに思ふこと
年賀状、11月末に準備してあったのに、今頃書いています。ウサギが油断した、というパターンです。あ、兎年なので、兎らしい1年の締めくくりになりました。(と、なんとなくつじつま合わせ)
さて、宛名も裏の添え書きも全部手書きです。今年はプリンタを買ったので、せめて宛名だけでも印刷をしようと思っていたのですが、どうやればいいのかマスターしないまま、今日に至り、結局、例年通り宛名も手書きです。
せっせ。せっせ。
そして、この作業をしていて毎年思うこと。
「宛名の書き方」についての疑問。というか、悶々。
●女友達(山田花子さん)あての年賀状なんだけれど、夫の方も仲良しになり、夫婦連名の宛先にする場合
山田 太郎様
花子様
と書きたくない。なぜならば、花子さんの方がうんと仲良しで、夫よりもうーんと前からのトモダチだったので。
山田 花子様
太郎様
うん、こう書きたい。書きたいのだが、私はいいけれど、相手はどう思う? いいのかな? 気にしないかな?
ん?気にするって、何を気にすることを私は気にしているのか? ここでいつも迷う。
・・・一方、受け取る時の悶々も。
以前結婚していた時のことなので、今は何ら問題ないのですが。
●私と親しい友達から
山本 五郎様
淳子様
で来ることが多い。これ、私は二番手か?とこれちと寂しい。さっきの逆パタンですね。 (山本 五郎:仮名です)
●さらに、
山本 五郎様
淳子
「様」が二人の間、下あたりにある。下手すると、五郎の下に様があって、私の下は空欄、というほどの偏り方も。
一人分の「様」を付けてもらえない私って(涙。
●下手すると、知り合いなのに、名前も消える。
山本 五郎様
奥様
ひえぇ~。名前、知ってるでしょー。奥様ってだーれー!?!?(笑
・・・ こういうこと、いちいち気にするのも何ですが、やはり、名前はアイデンティティの象徴。大事なんだなぁ・・・。
ところで、来年の年賀状は、今年の年賀状を見ながら書いているので、改めてよく見ていると面白いものがたくさんあります。
1.年賀はがきが不足したのか、表の「2010」に横線を引いて、「2011」に直してあるもの(← エコですね)
2.こちらから送り、先方からも1/1にいただいているのに、「早々に賀状ありがとうございました」と2通目が届いているもの
過去最も爆笑したのは、「直属上司から私あて」のものにこういう添え書きがあったケース。
「大変ご無沙汰しています。 今年は久しぶりに会って、飲みたいですね。」
・・・えっとぉ、毎日お会いしてますが、どなたとお間違いに?
・・・・・・・ 年賀状書き、大変だけれど、1年ぶりに思い出すいろいろな友人・知人・親戚もいて、なかなか楽しい。
さて、と。続きをば。ふぅ~。
ところで、「喪中」のお葉書を頂戴している方には、1月1日以降に「寒中見舞い」などお葉書を出します。
喪中はがきをいただいたからといって、こちらも何も送らないとコミュニケーションが途絶えそうで、だから「寒中お見舞い申し上げます」などと書いて、なんとなく近況を添えたりしているのです。
そうすると、ご縁が切れなくてよいし、それに、さみしい思いの1月に何か届くと嬉しいと感じる方もいると思うから。(私も以前受け取ってとても嬉しかったことがあります)
数年前のことですが、大学時代の友人から「父上が亡くなった」と喪中はがきを受け取ったことで知りました。1月に入り、「寒中見舞い」に添えて、その父上との思い出を書いて送りました。
20数年前一度だけ父上にお目にかかり、数人でごちそうになり、その食事会の席で父上がもらした「オヤジギャグ」がとても面白かったので、そのことをお悔みの言葉と共に書き添えました。お寿司屋さんに連れていってくださり、何かに添えられた「スダチ」を見て、「氏よりスダチ」とおっしゃったのです。その時も学生たちは爆笑し、「私は今でもスダチを見ると、父上の”氏よりスダチ”を思い出します」と書いたのです。彼女も覚えていなかったかも知れない思い出です。
すると、しばらくして「父のことを覚えてくださっていてありがとう」と手紙が届きました。喜んでくれてよかった、とほっとしたことを覚えています。
色々考えはあると思いますが、喪中の相手にも、何かお便りするといいですよ。