ボクらはどこまで成長しなければならないのだろう
野菜を作っていると、「これ以上作っても無駄だな」と感じることが、時々ある。
野菜を作るのは面白いし、成長している姿を見ると楽しいから、「もっとたくさん作りたい」と思うのだけれど、同じ時期にたくさん採れても食べきれないし、人が一度に食べられる量は決まっているから、たくさん作っても、人にあげるか、捨てるかしかない現実を何回か繰り返すと、「これ以上作っても無駄だな」という心境になり、作る量を調整することになる。
そう、人が消費できる量は決まっているのだ。
新しい年を迎え、休みも終え、テレビでは政治家や、企業のトップの人たち、財界や経済に詳しい人たちが、今年の抱負を語っている。
「今年も成長の年にしたい」
「未来に向けて投資をしたい」
「経済を活性化したい」
「株価は2万円台後半まで行くでしょう」
みたいな話を何度か聞くことがあった。このような話を聞くたびに、ボクはなぜか、胸のあたりに「なんとなく違う」という違和感を覚えた。
その「なんとなく違う」という違和感を一言で表せば......そう、あの、野菜を作っているときの「これ以上作っても無駄だな」という感じに、なんとなく似ている。
ボクらはどこまで成長しなければならないのだろう。
もちろん、成長することは悪いことではないと思う。というより、ボクだって、成長だけはし続けていたいと思っているし、そういうのは大事だと思う。
でも、成長したいと思っているのは、精神的な成長であって、物欲的な成長は、もういいかなって思うボクが、どこかしらにいる。
日本の人口は、これから減る。それは、明らかな事実である。というより、予想を超える速さで確実に減る。
すると、消費できる量が確実に減る。
しかも、かつてと違って、ボクらの周りはモノであふれている。
これ以上、何かを作って、消費しきれるのだろうか。捨てるしかないんじゃないか。
すると、もう一人のボクは、こうつっこむ。
「日本で消費できなくたって、海外に売ればいいじゃないか」
すると、違和感を抱いたボクは、こうこたえる。
「でも......もう、そういうの、いいんじゃないの?」
「もう、そういうの、いいんじゃないの?」という感覚はこうだ。「そこそこで満たされれば、いいじゃないか」という感覚。「消費できる分だけ作っていれば、それで十分じゃないか」と。
もちろん、便利になるものは、便利になってくれたらうれしいけれど、そうじゃないものは、もういいかなと。無理に努力して、残業して、成長しようとしなくたって、消費しきれる分だけ作っていれば、もういいじゃない......みたいな感覚が、どこかしらにある。
じゃあ、「便利になってくれたらうれしいもの」って、何かなぁ。
- いつでもどこでも仕事ができる環境。クラウドとか。
- めんどくさいことを肩代わりしてくれる環境。AIとか。
- 楽しいと思うことをすることが許される環境。これは、人々のメンタリティか。
あと、ささいないざこざとか、いやだなぁ。ギスギスしていないのがいいなぁ。
「消費しきれる分だけ作っていれば、もういいじゃない」って思うものって、何かなぁ。
- 「スピード」はもう、十分かなぁ。移動時間とか。
- 食べ物は、もう十分かなぁ。量はいいから、質を高めたい。
- 家電は、もういいかなぁ。最近、物欲がほんとない。
まぁ、パッと思いつくのはこのぐらいで、じぶんでも「なんだよ。主張するほどのものでもないじゃないか」って感じなのだけれど。
でも、経済の話を聞くと、ボクの中では確かに、特に今までのやり方に、「なんとなく違う」という違和感が生じるのは、事実なのである。
戦後の、物がなく、まだ成熟していなかったときは、どんどん作って、どんどん買って、お金回して、「イェーイ」って感じでよかったんじゃないかと思う。人間でいうと、なんか、10代から20代前半みたいな?そういう時代はあってしかるべきだし、そういう時代は、そういうのが楽しいのでいいと思う。
でも、十分満たされた今の成熟した日本では、何かこう、別の楽しみ方があるのではないかと、ボクなんかは思う。今の日本は、人にたとえれば「若手」じゃなくて「おっさん」なんだ。「イェーイ」っていうのではない、成熟したなら、成熟したなりのやり方があるんじゃないか......と。
「別の楽しみ方」というのがどういうったものなのかは、よくわからないけど、まぁ、あえて言葉にすれば「量より質」とか、「物理的なものよりも、精神的なもの」とか、「今あるものを活かす」とかになるのかなぁ。とはいえ、そっちに振れすぎるのは、それはそれであまり好きじゃないし、稼ぐところはしっかりと稼ぎたいのだけれど、成長するなら、そっちのほうに成長したい。
そういえば、正月に、義理の姉の子供たち(20代前半)に会ったのだけれど、彼らをみると、あんまりガツガツしていないというか、例えば食べ物一つとっても、ボクらなんかは「もったいないから食べなきゃ」みたいになるのだけれど、彼らは、「もういい」と必要以上は食べないし、お酒だって、ボクらなんかは「もっと飲みたい」みたいになるのだけれど、彼らは、必要以上飲まない様子を見ると、「あぁ、若い世代もそういう感じ(必要以上に消費しない)に変わってきているのかな」なんて、思ったりして。
答えのないことをだらだらを書き綴ったのだけれど、まぁ、そんな感じです。
今年は野菜、何を、どのぐらい作ろうかなぁ。