そもそも「やる気」は必要か?
ITmediaエンタープライズで連載させていただいている「人生はサーフィンのように」に新しい記事が公開されました。
良かったら読んでみてくださいね。
Twitterを眺めていたら、「そもそも『やる気』は必要か?」というコメントがありました。面白い意見ですね。ご自身を客観的な視点で見ることができるからこそ抱けるご意見ですね。
そもそも「やる気」が必要か?……それは、私にも分かりません。「あるほうが正しい」「無きゃ絶対にダメだ」なんて思ってもいません。やる気をどう取り扱うかは自由で、自分で決めることです。
何が正しいのかは分かりませんが、私にとっては、やる気があったほうが便利だし、楽しいです。
話を分かりやすくするために、恋愛を例に出せば……
好みの女の子(またはその逆)と出会ったとき、「いい女(男)だな~」「好きなタイプだな~」「付き合いたいな~」と思います。「声をかけよう」「ナンパしよう」「告白しよう」と思っても、ある一線を越えないとなかなか声をかけられません(勇気はいるし、面倒くさいし)。そんなとき「よし、行こう!」と、面倒臭さを超えさせてくれるのはやる気です。
付き合うことができたら、「一緒の時間を多く作りたいな~」「デートしたいな~」と思います。上司から「今日、すまないが残業してくれないか」と言われたとき、なかなか断れない自分に「すみません、今日はこの後予定があるので……」と上司の申し出を断り、時間内で仕事を終わらせ、自分の意思を優先させてくれるのもやる気です。
デートができたら、「キスしたいな~」「エッチしたいな~」と思います。彼女はなかなか唇を許してくれないし、股は開いてくれないのです(下品は話でごめんなさい。でも、本心です。女性はどうなのか分かりませんが……)。あの手この手を考えるために、 「頼む、やる気さんよ、エッチしたいから応援してくれ!」と、懇願せずにはいられません。
このように、私たちはいろんな「○○したい」を持っています。エッチみたいな、ちょっと下世話な話だけではなくて、「こんな風になりたいな」「あんな風になりたいな」と思ったとき、「でもな~、面倒くさいしな~」みたいな、逆の力が働きます。その「でもな~」を超えさせてくれるのがやる気なんじゃないかなぁ。ひょっとしたら、「あんな風になりたい」と思わせてくれる、気づかせてくれること自体も、やる気のなす技なのかもしれません。
ボクにとってやる気はとっても便利で、困ったときに手を差し伸べてくれて、生活を楽しくさせてくれるような「気の利く相棒」みたいな感覚を持っています。別に、表現は「やる気」じゃなくて「あいつ」でも何でもいいと思いますけど、そういう存在がいることは、認めてあげたいな~と思うのです。
そもそも「やる気」は必要か?……やる気について考えるいいきっかけになりました。ありがとうございました。