ディックトレーシーの腕時計を越えるのは腕時計かケータイか?!
昨晩は、IT系企業に会社ごと買収された某コンサルティング会社をちょっと前に辞めて独立した彼女と、某ソフト企業で、法人営業を担当している彼女、IT系企業の技術翻訳などを独立して請け負っている彼女の、合計4人で渋谷で遅くまで食事をした。フィールドは違うが、レザー商品のデザイナー兼経営者の彼女は体調を壊し、あいにくこの日は欠席となった。
筆者は、この晩、彼女たち全員に、普段の腕時計の携帯率やコレクションの数、今後の購入予定などをデータ集めのために聞こうと思っていたが、よくあることだが、ワーキング・ウーマンが集まると、滅多なことではそういう話題にはならないことが多い。この夜も、いつもの様に遅刻してきた冒頭の彼女が、遅刻の理由、そして最近某社より出版した書籍の話、今はその続編で大変なこと、、、から、まずわき道にそれて、その後は、B級グルメの話、なぜか筆者が切り出した最近凝っている「鰹節削り」の話で、ますます大きく話のルートは逸れ、遂に最後まで腕時計の話には至らず、遂に日が変わる時刻になってしまったのだった。
昔、仕事として、WorkPadを日本に持ち込んだときも、CrossPadを持ち込んだときも、ChipCardやWatchPadの企画をやったときも、常に頭から離れなかったのは、あの「ディックトレーシーの腕時計」だった。今更、モバイルの世界で、俗物的なエバンジェリストを目指そうなんてセンスは持ち合わせていないが、筆者にとって「ディックトレーシーの腕時計」は常に特別の意味を持っているガジェットなのだ。
数十年以上も昔の劇画の中で描かれた「未来のコミュニケーター」は、今では、腕時計+携帯+PDAという様な感覚に近いガジェットだ。個人的なビジネス上の生活では、どうしてもソフトウエア関連の仕事が多いが、最近はもう一度、ハードウエア関連のことを始めて見たいと思うようになってきた。「ハードウエア、ソフトなければただの箱」なんて、使い古された言葉だが、今思えば、ハードウエアが無ければソフトなんて、この地球上には存在せず、これは明らかに後発のソフトウエア関係者が思いついた苦肉の策の「マッチポンプ的マーケティングの成果」だろう。
ソフトウエア全盛時代に生まれた「ソリューション」という言葉も、口の悪い筆者はよく似たイメージを持っている。確かそのきっかけは、画期的なハードウエア技術を持たない企業では、決して解決のつかない困った問題を、寄せ集めの商品と人海戦術で、やっと解決の糸口を見つけた言い訳的商品群の提案呼称だったはずだ。DOS/VとThinkPadという両方に少し関わった経験からすると、「ソフトウエア、ハード無ければただの無(Null)」というのが本当の実感だ。
好みの問題は別として、電話機会社じゃなくても、誰でも携帯電話の作れそうなWindows Mobile のPhone Editionの登場や、底なしの低価格化、Skypeだけで携帯電話になってしまうPDAの存在、既に日本の人口に限りなく近くなった携帯電話保有率、騒ぎの割には、実質的にはメールアドレスは蚊帳の外なので、意味がありそうでなさそうなナンバーポータビリティのスタート、国粋的なiモードの世界ステージでの閉塞感、グローバル市場でのWCDMAケータイへの移行などなど、いよいよディックトレーシー型腕時計の登場は近くなってきていると感じたい昨今だ。