【連鎖】シリコンバレー、なぜか京橋事務センター(3)
大阪生まれ、大阪育ちでも、大阪を離れて既に20年近く経つ身には、「大阪城公園駅」と聞いても、あまりピンとは来ない。今は、NYCにあったワールド・トレードセンターにも似たミニ・ツインタワーや著名な都市ホテルなんかもあって、それはもう都会~イっていう感じだそうです。
しかし、30年くらい前の大阪の「京橋」辺りは、それはもう都会の中の田舎で、たまに馴染みの楽器屋さんに行く以外は、余り縁のある場所ではなかった。筆者が時々通う某社の大きな事務センター(懐かしい言葉。。。) も、そのすぐ側にあった。昔、いや今もそう呼ぶかも知れないが、銀行や生保、等の大型コンピュータの収納された建物の多くは、「事務センター」って呼ばれていたのだ。
当時、筆者のお客さんであった某社は、一部の業務は、地方の何百とある営業店から、専用営業端末を経由して発生データをオンライン入力していたが、まだまだ回線速度も遅く、大量のデータ入力の必要なアプリや、それ程急務では無い月締めアプリのデータ入力等は、事務センターまで、何万枚という手書きの伝票や書類をトラック定期便で運送し、事務センター内でカードパンチ(懐かしい。。。。)を使用して、一括入力したり、キーツーディスケット(フロッピーディスクに直接キーインするようなユニークなハードウエア)を活用して、時間差で大型コンピュータへのデータ入力を行い、分析や記録を行っていた。
何処までの大きさのコンピュータを「サーバ」と呼ぶかは、人によって、今もいろんな趣味や意見があるだろうが、当時、「超大型コンピュータ」と呼ばれていたメインフレーム機は、もしレンタル制でなければ、一台でおおよそ十数億円くらいの買い取り価格だったと記憶している。営業店端末を含めるとすぐに合計金額は20~30億円というまさにビッグビジネスだった。
筆者のお客さんであるその事務センターでは、オンライン処理になっていない業務のデータインプットの為に常時、約100人のキーパンチャー(データ入力を業務として行う。多くは外注先の若い女性だった(#^.^#) と約150台のカードパンチ機と、約100台の穿孔検証機が導入されていた。この頃の大型コンピュータやその周辺機器は、その殆どがレンタル制であり、買い取りの固定資産モノは極めて少なかった。
ある晴れた日に、お客さんの事務部長(二百人の部下を持つ)を訪れたまだまだ駆け出しの営業であった当時の筆者は、突然、部長から、現在レンタル契約中の内、120台のカードパンチ機と、90台の穿孔検証機を即解約し、返却したい、、というそら恐ろしい話を突然聞かされたのだった。。。。
「ええっ~!、、、ひゃ、ひゃ、ひゃく、にじゅ~うだい!と、きゅう、きゅうじゅうだい、ですかぁ~?!?」 (・_・、)
ということで、、、
今日も、昔を思い出して目眩がしてきたので、、この続きは、また別の機会に。。。
おやすみなさい。