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ここは線路の外の風景

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こんな記事を読みました。

人生は複線化すべきってはなしですね。データがあんまり参照されてないので、本当にそういう人がどれくらい多くて、それがどれくらい影響を与えているのか、っていうところはともかく、ある種の物語としてはたいへんしっくりくるお話しでした。

複線

子供時代であれば、学校という場所はそこに居場所が見つけられるのであればとても楽しい場所で、うまく12年もそれが続くのであればそれに越したことはないと思います。でも、いちにち何時間も居るところが、自分にとって居心地が良くない場所だったらそれはもう苦しいとしか言いようがありませんね。

自分の子供を見ていても考えますね。ぼく自身は地元にコミュニティを作ることなく小中高を過ごしたので、逆に地元でコミュニティからはみ出すことの苦痛はありませんでした(そもそも所属してないので)が、いまの自分の子供たちはそうではなく、地元でコミュニティでうまくいかないことがあると、それが近すぎるがゆえに苦しいんじゃないかなと思っています。まあ、ぼく自身高校生時代は、あんまり楽しかった記憶が無いのでコミュニティがそもそもないのはマイナスにはならないけどゼロだったんだなとは今さら思いますが。

そんなわけで、わりと疎外感には縁があるまま大人になりました。社会人になってからも、仕事と関係ないところにいろいろ顔を出したりして、辛うじて生きながらえてきました。感覚としてまさに記事にあるとおり、会社だけが自分の人生のメインだったらとっくにここの世界から引退していたなーと思っています。あぶねー。

以前の会社ではいまみたいな自由裁量ではなかったですから、業務時間外にいろいろなコミュニティに顔を出して、なんとかそれで繋いできたところもあります。ただ、仕事の手を適当に抜いて、そこのエネルギーを取っておけたからこそ出来たことのような気もします。これは時間のあるなしだけの問題じゃなくて精神的な余裕もとっても必要なわけです。疲れ切っていたときの土日の無為な過ぎ方と言ったら! 経験のある方も多いはず。そうなると会社と会社外のコミュニティを縦方向に積み上げるやり方はけっこう大変です。

ぼくはいま家の近くのコワーキングスペースにお世話になっていて、そこで会社とは違う人間関係を築けていますが、それが会社組織に所属していながら、そして仕事をしながら、同時に出来ていると言うことはものすごく価値のあることだと思うのですよね。これは会社と会社外のコミュニティを横に並べてしまったようなもので、効率という意味でもとてもいい。

フリーランスみたいに仕事をすると決めたら、好き勝手にいろんなコミュニティに入れば良いんでしょう。でも、ぼくみたいに会社組織の方が向いている人間には、そう簡単な決断ではありません。そういう人たちに「会社生活に人生のほどんどを消費すること」を抱き合わせで受け入れなくてもいい、というのは魅力的だとは思いませんか。このところ会社に居ながら外に出て仕事をすることはとにかくメリットがあるな、と思うことが多いんですが、またひとつその理由が分かった感じがします。

こういう働き方が出来る会社が増えますように。

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