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ながいながいねずみ

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長時間労働の話をしておいたほうがいいんですかねえ。

ご存じの通り、痛ましい労働災害が起きまして、何時間が多すぎる少なすぎる、みたいな話がまず出てきて、速攻炎上してから、やっと、自分がコントロールできないのがつらいんだ、という話になってきて、まあ納得できるかたちに落ち着いてきた感じがあります(いまだに違いを理解できないでわーわーいってるひとも少なからずいるのがちょっと絶望を感じるんですが、まあ見なかったことにしましょう)

で、署名活動なんかも始まったりしているんですが、カウンター的にいや長時間働きたい人も居るんだ署名なんてキモい(意訳)なんて、いう意見も出てきてる。これは半ば予想してましたが、まあポジショントークとしてのバイアスが強いと言うことは自覚しながらも、協働の場としての会社なんだからひとりだけ法的な範囲を超えて働きたいって言ってもそう上手く行かないんじゃないですか、と言いたいですよね。いいんですけどね、全員が納得してる形であれば。しかし、無理でしょう、サービス残業の横行を招く未来死か見えません。経営者からすれば勝手に働いてくれたら嬉しいわけですが、そんなときに、法的なバックボーンがないと結局今みたいな「空気を読んでしたくもない残業をする人」がことになって、それって今と何も変わんないじゃんってことになりませんかね。

いや、ほんと仕事なんて機械に任せて、人間はもっと好きなことをした方がいいんですよね。その好きなことが又お金になればそれもまた仕事という分類になっちゃうわけで、あんまり厳密な話をしちゃうとよくわからなくなってきてしまいますが、まあ、とにかくどうでもいい作業は機械に任せられるような時代になったんじゃ無かったのかと言うことなんです。

そしてこれは本筋とだいぶ外れる話なんですが、この手の仕事の話を読んでいると、好き勝手にすることに対しての強い動機付けが強すぎるがゆえに、そうでない人を見下すようなブログにすぐにぶち当たってしまうんですが、遠い関連としての少子化を憂わざるを得ません。家族を持たない彼らが身軽に何かライフスタイルを起点として、なにかを成し遂げることはまったく問題ないし、それを妨げる権利は誰にもありません。しかしながら、家族を持つことを選択したクラスタが切り捨てられてしまうようなライフスタイルを持って、家族を持った人間がかなり無理をして回しているライフスタイルを見下すような言説はうんざりするしかありません。多くの場合、何か敵意を持って見下しているわけではなさそうで、単に家族とともに過ごす生活という選択が目に入ってないように見える。これってやっぱり、持たざるもののほうが有利に見えているわけで、迂遠ではありますが、少子化と関係しているように思えてしまうのです。

それに対して何か改善のアイデアがあるわけではありません。ひとつ仕事をすると言うことだけでも、とかくこの世は面倒くさいことが多いな、という、およそ情報量のないセンテンスを最後において本ポストはこれでおしまいとします。ご清聴ありがとうございました。

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