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きのこる先生、生き恥をさらす

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新年度が始まりました。街にはまだ折り目も新しいスーツ姿の若者がたくさん溢れていますね。そんなわけでここのところ、仕事のやりかたとか、心構えに関するブログ記事を目にする機会が増えました。社会人一般論としての話もありますし、エンジニアとしてどうやって生きていくか、なんて記事も目にしました。

ただ、そういうのを見ると、毎度のことながらどうももやもやしてしまいます。仕事の時間というのは人生においてかなりの時間を占めるわけで、それを楽しんだり、効率化することに意識を向けること自体はけっして否定できる物ではないとは思うのですが、仕事嫌いのぼくにとっては、エンジニアがこの先生きのこるために、とかそういう記事を見る度に、そんなふうに考えたくないなと思う自分がなんだかできそこないのようにも思えてきます。もっとも、ブログでそういった情報を発信している人というのは、おそらくそういう生き方をものすごく意識して、それでそういったアウトプットが出てきているのであって、おそらく大半のITエンジニアにそこまでの意識はないでしょうという気もしています。

いっぽうで、現代のIT社会でエンジニアは歩みを止めたら後は落ちていくだけだと言われればそうかもしれません。失業者がこんなにたくさんいて、自殺者がこんなにたくさんいて、自分だってそうなるぞ、と自分を脅してみると、確かにそれもそうかとも思ってしまいます。しかし、もともと仕事自体がそんなに好きではないのに無理矢理意識を向けてみたって、そんなに向上する物ではありません。以前にも似たようなことを書きましたが、好きではない労働のうち、時々は楽しいと思えることもあり、かつ、自分がなんとかこなせそう、という消極的な理由たちがバランスした結果、エンジニアをしています。なので、これを向上させるためには、なにか欺瞞を自分に持ち込む必要があって、たとえばこの手の仕事を楽しそうにやっている人に会うだとか、意識を持ってやっているかのように見せた方が良い交流の場に無理矢理行くとか、執筆もそうです。そうやってだましだまし仕事をしているわけですね。そんな人って別にぼくだけだとは思えなくて、他にも居ると思うのですがそういう人の記事はあまり読んだことがないです。読みたいです。まあ、そうやって後ろ向きでもなんとか仕事をしていっている人がわざわざブログをたちあげて外に向けて書くだろうかと、まあ、ないかという気もします(ちなみにぼくにとってはこのブログも自分をだますためにけっこう意味があります。今日の記事は騙しきれずに出てきたと思ってください)

話がどんどん拡散しそうなのですが、もうひとつだけ。これはまたぜんぜん違う視点ですがエンジニアの行き方の記事を見ていると、家庭のことが何処にも書かれていないことが多くて、それにもなんだか疎外感を勝手に感じています(書き手が独身なのだとしたらそんなもの書きようがないわけだし、これは読み手であるぼくが勝手に感じているだけですが)。休みの日に勉強会に行くくらいなら子供と遊びたいですし、夜帰宅してから妻と会話をする時間も大切です。さらにその隙間にわずかな自分の趣味の時間を入れたらもうビジネスアワー意外に仕事に振り分けるリソースなんて残ってないんですよね。やっぱり時間の使い方が下手なITエンジニアに家庭なんて贅沢だったのかもしれませんね。もう遅いですけどね。

――はげしく後ろ向きなうえに、いつも以上にまとまりがない記事になってしまいましたが、普段からずーっとそんなもやもやを考えつつ生きているので、それをそのまま出してみました。まあ、こういう人も世の中にはいると思って頂ければと思います。来週からはまた自分を騙してそれなりにやる気のあるかのようなブログに戻せれば良いなと思ってます。では。

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