エコは垂直
こんなことを急に書きはじめたのはちょうど環境に関わる仕事をしているせいなんですが、環境についてよく考えます。
先日も、会社の人と話していて実感したんですが、「エコロジー」というのはどうも社会の中でいろんな思惑によって都合良く使われすぎてしまって、人に寄っては「エコ」自体に拒否反応があるようです。拒否、とまではいかなくてもマイナスイメージを持っている人は結構いるんじゃないでしょうか。
確かにキャンドルナイトやレジ袋の撤廃など、費用対効果の疑わしいものが喧伝されることには僕自身もあまりいいイメージはありません。もちろん、それらには環境に対する関心を持ってもらう、という一定の効果はあるとは思うのでまったく否定するつもりはあまりないのですが、その効果が果たしてどれくらいのものかをちゃんと考えている人は少なそうな気はします。
もっとも、だからといって環境問題自体が軽んじていいものか、というと、そうではないわけです。たとえば、地球温暖化の話なんかはちゃんと取り組むべきだと僕は思っていますが、上記のようなエコへの不信がなんか妨げになってるんじゃないかと思ってます。どうも教育効果を期待して危機的なイメージばかりを先行させすぎたせいなのか、あるいは企業がそれを恣意的にビジネスに利用しすぎたせいなのか、いろいろあるとは思うのですが、とにかく懐疑的な人がけっこう出てきてしまっているのは不幸なことだなあと思っています(エコが包含するいかがわしさへの反発としては共感できなくはないんですが、科学的知見をふまえないただの懐疑は賛成できません)
環境について考えるようになったのは、やはり子供ができてからです。一人で生きているときは自分が死んだ後の環境などさほど重要な問題ではないとどこかで思っていたんですが、次世代を生きる人間がいまここにいる状況におかれて、彼らに現在のつけをまわすわけにはいかないんじゃないかと思いなおしました。少子化の日本で、そういった子供たちへ良い環境を残すというモチベーションをみんなが持つのはむずかしいのかなあ、という思いもありますが。。。
ところで、僕はエコというのは人間中心であるべきだと思っています。というか人間以外は環境がどうなろうと別にどうってことないでしょう。ある種は絶滅するかもしれませんが、長い目で見ればニッチをついて新しい種がそこを補うだけです。そんなことはずっと昔から行われてきたことです。人間だって種に取っては外部からの淘汰圧の一つにすぎない。当然、地球というただの星にとっても別にその上に乗ってる生物が絶滅しようとどうだっていいはずです。だから、エコは人間中心でいいんですよ。人間たちのために、生態系を守る、人間たちのために地球を守ることをよく考えていく必要があると思っています。だから僕は過剰に人間の生命活動を制限するようなエコロジーには反対です。どっかの大学の先生が、産業革命前に戻れば良いとか言ってますが、そうなったときに産業革命前の社会の食料やエネルギーキャパシティが支えきれないぶんの人間(たぶん発展途上国の人たちからでしょう)は死ぬしかないことになります。それでいいという意見はあるかもしれませんが、僕にはとうてい肯首しがたい意見です。
そんなわけで、人間が長く生きるために自分の首を絞めない方法をちゃんと考えること、がエコロジーのあるべき姿なんじゃないかと、そんなことを思っているのでした。じゃあ、お前はなにをするんだ、というレベルだと、急に難しくなりますが・・・(プライベートレベルでは車をなるべく持たずに生活を続けたいとは思ってますが)