Appleはなぜイケてるか
先日Appleの広報の方と話す機会があったのだが、「Appleはディズニーランドだ」とおっしゃっていたのが、いろいろな意味で印象的であった。
どういう意味?と突っ込まれる前に答えてしまうと、Appleというブランドは世界中のファンから、楽しくオシャレでクールであると思われている、そしてそれを維持するために強力なリーダーシップで情報統制をしている、ということ。ディズニーもブランドを守るために、対外的に非常に強硬な姿勢をとることがあることで知られている。
つまり、その広報の方は、クパチーノからの指令なしには情報を提供することができないよ、ということを暗におっしゃっていたわけだが、これはやむを得ないだろうなと思う。ブランドに一貫性を持たせるためには、それを口にする権利を持つ人間を絞るべきとは思うのだ。同時に、僕はAppleやディズニーでは働けないな、とつくづく思わざるを得ない。僕はミッキーマウスになるよりもウォルト・ディズニーその人になりたいからだ。(僕はときとして口が過ぎるが、悪気は無い。これは批判ではない、自分をどのポジションに置きたいかの問題であって、戦略的に考えれば両社とも正しいことをしていると確信している)
ディズニーの話はたとえに過ぎないので(仮にスティーブ・ジョブズがディズニーのCEOにつくかもしれないとしても)、Appleの話に限って話を進めよう。
Appleはいまや世界で最もクールなブランドであることは多くの人が同意するところである。そして、その源泉はやはり革新的(であるか、それと言えそうな)サービスを容易にイメージさせるが、美しさを損なわないデザイン性にある、と僕は思う。
ITと一口にいっても、ネット業界と他の業界では生態系も環境も全く違って、ハードの世界で成立しはじめた機能からデザインへのパワーシフトは、いまだ緩慢な動きでしかない。特にWeb2.0と呼ばれる新しいサービスプラットフォームをビジネスフィールドにしようと考える企業の多くは、機能とスペック、サービスの投入時期にのみ精力を集中し、デザインに重きを置く者はまれだ。
業界を変えれば、例えばモバイルでは、近頃デザイン性に力を注いだ製品がよく見られるようにはなったのだが、逆にデザインに凝りすぎて機能が見えない。繰り返すが、必要なのはサービスや機能を容易にイメージさせるデザインなのである。
Appleの凄みは、デザインが見かけの問題ではなく、設計そのものであると理解していることにあり、エンジニアリングとアートが両立しているところにある。例えば日本刀は世界で最も美しい工芸品でもあると思うのだが、その美しさは人を斬るという猛々しさを静謐な形状が包み込んでいるところにあり、形状が機能を体現しているのに無駄も無いという絶妙なバランスにある。Appleの最近の製品にはこのバランスが感じられるのである。
日本の他のサービスでこのバランスを持つ製品、サービスを探し出すことは残念ながら難しい。絶頂にあったころのSONYでさえ、機能がデザインに勝ってしまっていて、アンバランスである。Appleはハードウェアについて、このバランス感覚を長く見せつけてくれてきたが、デジタルハブ構想の発表に続くiLifeシリーズのリリース時期あたりから、一般的なアプリケーションや(iTMSに続く)サービスにおいても、そのセンスをきっちり証明している。