(番外エントリー)バリ島の同時多発テロについて
再びバリ島でテロがあり、邦人旅行客にも被害がでたことは既に多くの方が承知されていることと思う。テロの実行組織はイスラム教派の過激派と見られている。これまでのキャリアの半分以上を東南アジアで過ごした身として、他人事ではない思いを持っている。
バリは日本人だけではなくヨーロッパ諸国からも人気の高い観光スポットであり、インドネシアの観光収入の屋台骨でもある。イスラムであるインドネシアでなぜイスラム過激派がテロを行うのかというと、バリ島がインドネシアにありながら伝統的にヒンズー教だからである。テロを行った過激派は、マレーシア、インドネシアなどが非イスラム教との融和政策をとっていることに反対し、周囲国を巻き込んで純粋なイスラム教国家独立という目的を掲げている一派と目される。
ただ、アルカイダとの政治的結託が囁かれており、一種のバーター(物々交換)的な犯行という意見も出ている。これはどういうことかと言うと、冷戦が終了し、米国陣営 対 ソ連陣営、もしくは自由主義・民主主義 vs 共産主義・社会主義、といった二極対立構造が崩れたあと、様々な主義主張の非常に細かい対立図が無数に実体化し、さらにインターネットなどの通信手段のグローバル化によって、それまで関係が無かった組織や人間が、本来の主張や目的を超えてコンタクトすることが可能になり、複雑にネットワーク化した。その結果交換殺人的に、動機や目的が、行動と一致しないような犯行が増えてきたのである。
冷戦というパッケージが壊れ、封印が解かれたことによって、その中の構成要素がバラバラな方向に散開した。そして、場当たり的な「都合」によってくっついたり離れたりを繰り返し始めたのである。
最近では、サソリが人家で発見されたり、琵琶湖でピラニアが見つかるなど、生態系においてもパッケージが崩れ始めている。これまで、何らかのフレームによりパッケージ化されていたコンテンツが、ボーダーレス的に飛び散り始めるという図式は、ベルリンの壁崩壊以降、メタなトレンドであると思ってきたが、21世紀に入ってその傾向はますます加速してきたらしい。
ネットにおけるFeedの派生、音楽やソフトウェアビジネスにおけるオンライン化とマイクロコンテンツ化も同じ流れである。マクロな情報に対するミクロな情報の形態が非常に似ていることを、フラクタルと言うが、ありとあらゆることが、共通してパッケージの崩壊とコンテンツの流動化という現象の中にあるような気がしている。ビジネスパーソンにとってはビジネスチャンスという健全な目的の遂行になるのに、別種の人たちにとっては暗い熱情のはけ口となることが口惜しくて仕方が無い・・・。
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