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Windows Webマガ編集長の独り言。だからどうした?

無償メディアについて考える

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(舩津氏の「もう、有償メディアは要りませんか?」を読んで、考えたことをまとめます)

私が一部のフォーラムの運営を担当している@ITがそうであるように、無償メディアの多くは広告収入で成立している。この場合、お金を払うのは広告主だけで、読者はお金を一銭も払わない。つまりメディアから見た顧客は広告主であって、読者は顧客ではない。従って無償メディアは広告主のほうだけを見て記事を作っている。舩津氏の主張はこういうことだと思う。

確かに一理ある。しかし実際に無償メディアを運営する立場からすると、事情はもう少し複雑だ。私の考えを簡単にお伝えしよう。

例えば次の図は、広告主(右)が金にモノを言わせ、メディアをいいように利用して嘘八百の提灯記事を書かせ、読者にろくでもない商品を売りつけているという図式だ。メディアはメシのタネを広告主に依存しているから文句を言えない。読者はメディアにだまされて、不覚にも広告主の商品を買ってしまう。

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広告主がメディアを利用して読者をだます

読者、広告主ともにメディア・リテラシーが低いときには、残念ながらこういう図式がまかり通る。実際、10年ほど前、月刊雑誌で製品比較記事を掲載したとき、記事で指摘した製品の欠点について、某アジア・メーカーから「高いお金を払って広告出してるんだから、いいことだけ書け!」とクレームを受けたことがある。もちろん国産製品についても欠点は欠点として書いてきたが、そういうクレームは受けたことがなかった。この差は、メディア・リテラシーの違いだろうと考える。

ある程度メディア・リテラシーの高い社会やマーケットでは、広告主も読者も、メディアの向こう側がどうなっているか、ある程度透けて見えている。

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メディア・リテラシーが高いと、読者、広告主ともに、メディアの向こう側が透けて見える

読者は、広告主が支払う広告料で無償メディアが成り立っており、広告主が金にモノを言わせて、自分に有利な記事をメディアに書かせる圧力を容易に加えやすいことを知っている。一方の広告主は、読者はバカではなく、また自分が無償メディアに対して保持している影響力が、読者に見透かされていることを知っている。一方的な押しつけや誇大広告は、長い目で見れば広告主のためにならないし、そのことを広告主は知っているというわけだ。

さてここで考えてみよう。広告主は、メディアの影響力をお金で買って、自社製品の広告を打つ。基本的な目的は売上と利益の増大である。それでは、このとき広告主が買うメディアの影響力の源泉はどこにあるか。それはメディアが読者から提供される信頼や関心、記事を読むために使ってくれる時間だろうと思う。無償メディアは、読者にコンテンツを提供する代わりに、読者の貴重な信頼と時間を獲得する。両者にお金のやりとりはないが、価値の交換はある。お金を介在させることなく、価値を交換できてしまうのは、アトム(形あるもの)に頼ることなく価値を流通できるというインターネットのマジックだ。読者から得られる信頼や時間が大きいほど、メディアの影響力は大きい。影響力が大きければ、より高い値段でそれを広告主に売ることができる。読者の信頼を得なければ、広告主から多くのお金を引き出すことはできない。

このようにメディア・リテラシーが一定レベルを越えた環境では、読者にとって本当に価値のある無料コンテンツを提供しながら、ビジネスとしてメディアを成立できる可能性があるのではなかろうか。弱点はいろいろあれど、いっそうのメディア・リテラシーの成熟によって、何とか成立できると私は考えている。

もちろん、有償メディアが不要だといっているわけではない。実際、年々販売部数が低迷し、良質な書籍がますます作りにくくなっている昨今には危惧を感じている。これについてはまた別の機会にお話したい。

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