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組織、マネジメントの理論とその実践を、スポーツ・学校を通して考える。

小中学生に全国大会は必要か

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令和9年度以降、中体連全国大会の規模が縮小されハンドボールや水泳などの競技が廃止されるという通知が文科省から出された。選手や大会関係者たちには気の毒な決定だが、そもそも「中学生に全国大会は必要なのか」と改めて考えてみたい。

 このテーマは、大学院で学んでいる時にも取り扱ったテーマだった。戦後、文部省は中学生の大会は都道府県に限って開催されるもの。宿泊を伴わないもの。という通知を出していた。ところが、東京オリンピックを控え、「競技力向上」「メダル獲得」という気運の中で、文科省は「全国大会OK」という方向を示した。中体連という組織は、当初は競技団体が求める「全国大会」を阻止する立場だった。競技志向が強くなれば、部活動が目指す「誰もが競技に参加できる」という本来の在り方ではなく、選ばれたものが参加する「選抜主義」「勝利追及主義」になってしまう、と危惧したからだ。部活動は生徒が自主性・主体性を育む場として学校教育の中で位置づけられているのだ。

 部活動はその後「競技志向性」を強め今に至っている。下手でもいいからスポーツを楽しみたいという生徒の行き場所がなくなってしまった。大学生が「スポーツを楽しみたい」という思いで、体育会ではなく同好会に所属する気持ちはよくわかる。大学生にもなると同好会を創る自主性と運営できる主体性がある。しかしながら、中学生にはそれは無理だ。

 あらためて大きな問いを立てると「スポーツは誰のものだ」ということになる。スポーツを極めたいものもいれば、スポーツを楽しみたいものもいる。部活動は本来「教育的スポーツ」であり、「競技的スポーツ」はクラブチームが担うものだ。全日本柔道連盟は小学生の全国大会をやめたが、これは柔道大国のフランスを真似たのだろう。ジュニア世代には「勝負よりも楽しさを」ということなのだろう。現場の良識ある教員は「全員、試合に参加させたいし、勝たせたい」というジレンマの中で指導を続けている。今の枠組みの中での部活動の指導は教員にとって非常につらいものだ。学童野球の危機を訴えている香川オリーブガイナーズの上田誠球団代表は「小学生が年間200試合もしている」「大会が多すぎる」と指摘している。「教育的スポーツ」「競技的スポーツ」の両方にそれぞれ問題がある。ジュニア世代にはだれもがスポーツに参加できる環境が大事なのだ。

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