大学の体育会はどこへ行く
今年1年、スポーツ界で様々な出来事があった。WBCでの日本チームの活躍やバスケットボール、バレーボールのオリンピック出場をかけた熱戦の連続は観るものを魅了した。
しかしながら、「部活動」「体育会」に目を向けると、残念ながら指導者の暴力事件・体罰、部員の不祥事が相次いだ。特に大学スポーツは「いったいどうなっているんだ」と思わずにいられない。「スポーツができればそれでOK」で大学まで進んでしまった若者たちに、「自分の頭で考え行動する」という、人として一番大事なものが欠落しているように思えてならない。そのようなスタイルでスポーツを続け、学ぶこともせずに実績だけで指導者になった人間が、自分と同じような「考えることを放棄したスポーツマン」を再生産しているのではないか。数年前に、ある国立大学のアメリカンフットボール部で新入生に飲酒を強要し、死亡するという事件があった。上級生が強要する飲酒を断れなかった末の、痛ましい事故である。いったいいつまで4年生が無条件で偉いなどという上下関係を続けるつもりなのだろう。
この国が「勝った負けた」を基準に指導者を評価してきたツケが、いまになって噴出してきたのだ。学生スポーツの指導者にとって大事なのはそのスポーツを好きにさせるような上達への導きと、スポーツマンシップ、フェアプレーマインドの涵養に他ならない。
自分自身、公立学校でスポーツの指導を続けてきた。チームとして目立った成績は残せなかったが、指導のレベルには自負があった。大学で競技を続けていた卒業生が「高校の時にレベルの高い指導を受けてたので、大学ですぐに適応できました」とよく言ってくれた。それでいいのだと思うし、それが大事なのだと思う。
世の指導者の皆さん、フェアプレーマインドを持ったスポーツマンを育てていきましょう。そのために、まず自ら学びましょう。