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教育の格差を生まないため?函館市小学校 水泳の授業を全て中止に

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函館市の教育委員会は今年度の小学校での水泳授業(プール授業)を全て中止にした。函館市には39の小学校があり、そのうち20の小学校にプールがない。プールがない学校はバスで近隣の小学校に移動しプールを使用していた。今回、中止になった原因はバスの運転手不足だという。コロナでバス会社が人員を削減していたため、運転手を確保できなかったという。

ここで問題なのは、プールのある学校でも水泳授業を中止にしたことだ。市教委は「教育の格差を生まないため」という公平性を重んじたのだろうが、この判断はおかしい。同じようなことがコロナで2ヶ月休校になったときにあった。学校は各家庭に動画で課題を配信しようとしたが、一部の家庭ではインターネットの環境が整っていなかった。ここで各学校は、躊躇した。「公平ではない、平等でないことはできない」という考えだ。校長として難しい判断を迫られたが、出した結論は「できることからやる」「すべての家庭の環境が整うのを待っていたら何もできない」というものだった。「教育の平等、公平性」とは何か、深く考えた。各家庭には学校の判断を丁寧にお伝えし、理解していただいた。「できることからやる。何もしないことが一番よくない」と考えた。環境が不十分な家庭にはルーターを貸し出すなどの対応を講じた。各学校が躊躇する中、文科省から「学校はできることからやってほしい」という話が出た。

教育は機会均等であるべきだが、そうではないこともある。隣の家が夏休みにディズニーランドに行ったから自分の家も夏休みにディズニーランドに行くわけではない。「隣は隣」なのだ。「すべてが平等ではない」それを教えるのも学校の役割である。教育委員会は、誰のために存在しているのか。

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