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組織、マネジメントの理論とその実践を、スポーツ・学校を通して考える。

松浦弥太郎論

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50歳を過ぎた頃、松浦弥太郎さんを知り、氏の考え方や「何を大事にするか」という価値観やライフスタイルに共感している。

第一印象は、失礼を承知の上で言わせていただくが「自分とずいぶん似ているところがある」だった。特に「シャワーがないとダメなんで、アウトドアは苦手」は全く同じ。おそらく、若い頃のアメリカ生活で「とにかくシャワー」が身についたのでなないか。自分がそうだった。1日に4回も5回もシャワーを浴びていたから、いつの間にか「お風呂」という感覚が消えていた。40代になって、寒い冬の日に「入浴」をし始めたが、今でも「お風呂」は週に1回あるかないか・・・。

弥太郎氏が若い頃に訪れたアメリカの街の印象も「そうだったよな・・」と思う。80年代半ばのニューヨークは治安が悪く危険がいっぱいだったが、エネルギーに溢れていた。そんな中、ダコタのアパートをたずね、朝食はデリカテッセン。行動も同じだった。当時のバーガーキングは美味しかった。

「走ること」に関してもその姿勢は素敵だと感じる。一人、黙々と淡々と走っている。仲間を求めるわけでもなく、自分と向き合いながら走っている。黙って走り始めて、黙って走り終える、そんな姿が浮かんでくる。なにか美しい。謙虚だ。「僕はただ走っているだけです」という声が聞こえてきそうだ。「走る」ということに謙虚である。

走ることに限らず、全てのことに丁寧で謙虚。それが弥太郎さんの大人の流儀なのだろう。本質をわかっている大人は、静かで謙虚になるのだ、と教えてくれる。

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