嫌われる勇気
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スポーツの指導者、教員という仕事に就いた時「生徒や選手に好かれようとしない」と決めた。
私たちの仕事は人気商売ではない。人に嫌われるのは嬉しくはないが、嫌われることを避けてはならない。
褒めるだけでは人は育たないし、敢えて厳しいことや、相手にとって嫌なことも言わなければならい。人間、好きなもの・美味しいものだけを食べているだけではバランスよく成長しない。嫌いなものを食べてこそしっかり成長する。
特に若いうちに「それは違う」と間違いを指摘しないと、勘違いしたまま社会に出ることになってしまう。
サッカーを指導していた時に、当時のキャプテンに猛反発され毛嫌いされた。自分が説いたのは「準備や後片付けは全員でやる」それだけだった。その彼と数年後に再会した時「あの頃は、すみませんでした」と言われた。彼は小学校の教員になっていた。
彼が高校生の時に、それを理解させることができなかったのが残念だった。
嫌われることに勇気など必要ない。嫌われることは指導者にとって「当たり前」と思っていた方がいい。その覚悟がなければ、指導者になるべきではない。
嫌われることを受け入れられない指導者がいるのならば、それは選手にとって不幸なことである。
「嫌われる」とか「好かれる」など、どうでもいいことなのだと思う。
大事なのは、選手たちに自分の価値観をしっかりと示すことではないだろうか。
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