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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

情報誌「ぴあ」休刊のリリースを見て、そういえば自分の東京生活はぴあMAPで始まったよなと感慨にふける

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思い起こせば1985年の4月。私が大阪の大学を出て就職した最初の勤務地は六本木。そして実家のあった関西を離れて生まれて初めての一人暮らしは世田谷の千歳烏山。大阪で面接を受けて結果的に東京勤務になったのですが、何しろ関が原を越えた事自体がそれほど無いベタベタの関西人。信州方面にスキーには何度も行ってましたけど、関東平野に足を踏み入れるのは小学校3年の頃の旅行以来。

因みにその頃の東京という場所の理解っていうと、新宿には高層ビルが一杯あって、渋谷にはNHKがあって、銀座にはカンカン娘がいて(いません)、歌舞伎町は怖いところで、赤坂にはキャバレーがあって、六本木にはディスコがあってナウなヤングがフィーバーしてて、みたいないい加減な印象でした。(いや、もうちょっと知ってましたけど)

いずれにせよ、右も左もわからない。とりあえずアパートを決めたはいいけれど、オフィスに行くルートがわからなくて下見したくらい。さぁどうするよと困ったわけですが・・・

 

地図は買いました。でもそれぞれの場所に何があるのかさっぱりわからんわけで

散々苦労した挙句に、あるとき気が付いたのが「ぴあMAP」の存在。因みに阪神間で育った私にとってエルマガジン(通称エルマガ)や神戸からの手紙(現在のSAVVYですね)とかには馴染みがありましたが、ぴあ自体は存在しか知らないというころ。

で、東京に出てきて時々本屋で立ち読みくらいはしてましたけど、結果的にぴあ自体を買うことは無かった気がします。ただ、ぴあMAPを買ったお陰で、いや、随分助かりました。Webだ何だってモノが全く無い時代の話で、いわゆる街の歩き方が判る単純な地図じゃないモノというと、もうコレしか無かった記憶があります。

その後最初に買ってから2~3年おき位に買い換えていたのですが、流石に東京横浜生活が四半世紀にも及ぶようになると幾らアホな私でもこれに頼る必要はそれほど無くなりました。

雑誌としてのぴあに個人的な思い出は殆ど無いのですが、ぴあMAPのお陰で今の私がある、位の勢いかもしれません。

 

そして情報誌「ぴあ」の休刊に関するお知らせ

今日2011年4月22日付けのプレスリリース。情報誌「ぴあ」の休刊に関するお知らせ。ぴあという情報誌自体にそれほどなじみの無い私にとって、多分それを見たときの感慨というのは読者のそれとは違うとは思います。でも、ITなり通信なりの世界に長く身を置いている立場として特に最近良く見かける紙媒体の終焉のひとつの形だよな、という方向での感慨はあります。

個人的には紙媒体というのは電子媒体などよりも余程好きなのですが、自分が買わなくなった、あるは買った事すらなかった媒体の終焉を悲しんでも仕方ありません。そんなことならお前が出版権ごと買っちまえばいいじゃんとか言う暴論もあるわけですが、わたしごときにそんな事が出来るはずもなく。

もっとも紙媒体として有る一定の方向と規模であれば電子媒体よりも非常に価値があるんじゃないか的なアイデアが無い訳ではないので、それについては永い目で見て携わって行ければいいなという方向感はありますが、いずれにせよ流れとして紙媒体としての情報誌は成立が難しいよなというのはよく判ります。

これも時代の流れかと。

 

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