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がんばる愛媛県。日露合作映画の話題など。~愛媛移住促進記事フォローアップ~

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昨年の愛媛県は、不運続きだった。
最大の災難は水害で、みかんの生産地が危機に。とくに、吉田町。甚大な被害となった。復興作業は続いている。

天災は、住民に何の非がなくとも襲い掛かる。
だが、人災は。
これには、正直、困ってしまった。愛媛いいとこ移住しておいでよ、と声高に言いづらい事件が相次いだ。ニュースを見るたび、意気消沈。愛媛は危険なところだなどと誤解しないでもらいたい。事件は、ごく一部の人によるものだ。
愛媛の治安は良い。というよりも、遍路道のある、四国の治安は良い。平和なひとびとが暮らしている。

連載中で紹介した、松山市、新居浜市、鬼北町(前回記事参照)は、がんばっている。

松山市と新居浜市では、それぞれを舞台とする映画が作られ、封切られた。

松山市が舞台の映画は「ソローキンの見た桜
日露戦争のさなか、松山市民は、ロシア人捕虜たちを手厚くもてなして交流したという。そのため、捕虜になるとわかった兵士は「マツヤマ!」と叫んだという逸話がある。帰国できずに松山で人生を終えたひとびとの墓碑は、祖国を向いて建てられており、市内の中学生が毎年ボランティアで掃除しているという話を、以前からよく見聞きしていた(捕虜収容所の日常についての説明)。が、それ以上のことは不勉強でよく知らなかった。
松山市民とロシア人兵士たちのあいだの交流。映画では、そこから生まれた、国を超える恋愛が描かれているようだ。
先の大戦時の記憶を親から引き出す限りでは、戦火が迫り、焼夷弾が落とされ、時限爆弾が爆発しても、(すくなくとも親の生活圏にいた)四国の民間人が、相手国や兵士たちに対して憎しみを募らせることはなかったらしい。生活の根底に、まだ、森羅万象をそのまま受容する、やや諦観も含むアニミズムが流れていたからかもしれない。大戦よりも前の日露戦争ならなおさらのこと、ハーグ条約がなかったとしても、松山市民(というより四国民)は、捕虜をひどく扱うことはなく、お遍路さんに対するように接したのではないか、と、わたしは想像する。(公式サイト上映情報

新居浜市が舞台の映画は「ふたつの昨日と僕の未来
マラソンランナーが主人公のパラレルワールドもの。主題歌は、新居浜観光大使の水樹奈々さん。
映画には、太鼓台が映っている模様。夏にはDVDが発売になるかと。(公式サイト)(facebookページ

感想を書くべきところだが、どちらも見ていない(すみません)。オンコールに備える必要があるのと、映画館の音が耳に辛いという理由。詳細や感想を書くことができないので、その目でぜひご覧ください

松山市では、今年も、セキュリティのイベントが開催された(サイバーセキュリティシンポジウム道後 2019)。参加できず残念。
松山のホテルは、ポンジュース蛇口で迎えたようで。
夏になったらポンジュース蛇口のTシャツ、買おうかな。

そして、また感動を与えてくれる「はやぶさ」。初代はやぶさ、といえば、イトカワの採取システムを手掛けたのは新居浜の企業、「KOS21
下町ロケットの佃製作所と標ぼうされることがあるそう。社長は謙遜しているけれども、偉業でしょう!!
新居浜市は住友の城下町として栄え、その基盤のうえに、開発力と製造技術をもつ中小企業が多い、重厚長大の技術集積地。中小企業には、出向先で開発の中核を担ったり、海外の最先端の現場を渡り歩いている技術者も多数いる。昭和の時代から、その仕事の成果は、地方にとどまらず、世界に広がっていた。
ハードウェアとソフトウェアの両方に軸足を置いて開発をしたいエンジニアにとっては、新居浜市はうってつけの移住先だ。子女の進学先としても、新居浜高専がある。京阪神には、比較的短時間で行くことができる。しかも道中は、瀬戸大橋からの眺望、絶景だ。ぜひ、移住を検討してみてください。

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