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渋沢栄一が残した「ニュータウン問題」二つの解

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住まいと街の解説者、中川寛子さんがタイムマシーンで聞きたい二つのことの一つは渋沢栄一になぜ、住のみでまちを作ったのか?だそうです。

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その渋澤が作ったまち、田園調布について書いた。空き地、空き家の増加はあちこちで語られているが、個人的には手が回らなくなりつつある住宅が増えているのが気になった。あと数年後にはこうした住宅が相続を迎えるはず。その時、どうなるか。

今は財産じゃなく負債を残してしまうことになることも。お荷物残されるのは辛い。財産は無くても、あっても大変である。

この中川さんの嘆きというか疑問は、東洋経済の記事でよくわかります。渋沢栄一の街づくりに欠けていた視点とは というサブタイトルがついたこの記事では、お屋敷の保全に尽くした田園調布の住民が相続で悩んでいる様子が描かれています。その田園調布の元は、 1898年にイギリスのエベネザー・ハワードが提唱した都市のありかた、ガーデンシティに由来すると考えられています。

ハワードのガーデンシティの着想は当時、都市に人口が集中して通勤時間が長くなる問題を解決しようとしたのが発端となりました。そのため、都市の社会・経済的利点と、農村の優れた生活環境を結合した第三の生活を生み出すことによる解決がその本質でした。自然と共生し、自立した職住近接型の緑豊かな都市を都市周辺に建設しようとするハワードの構想は、ロンドン中心から55kmほどの郊外にレッチワースなどの実際の建設されるに至っりました。レッチワースは単なる美しい住宅地ではなく、工場、商業地、農地が組み合わさった、職住接近の自立した小さな都市として建設されて維持されています。(取材・構成: 服部圭郎 龍谷大学政策学部教授、制作・配信: 公益財団法人ハイライフ研究所)

一方、田園都市や日本のニュータウンのほとんどは、ハワードの問題意識とは違い、「ベッドタウン」として設計されています。ハワードが考えたように職住接近で作っていれば今の田園調布問題は起きなかったのではないか?という問題意識が、タイムマシーンで渋沢栄一に聞きたいという嘆きにつながるわけです。

田園調布は、サンフランシスコの高級住宅ゲートシティを元にした?

渋沢栄一が作った田園調布は、ハワードの構想というよりもむしろ、サンフランシスコ郊外の高級住宅街、セント・フランシス・ウッドに似ています。45haほどの敷地に600戸という広い区割りで作った高級住宅街はコミュニティー入口に、その名を記したゲート(門)やモニュメントを配して差別化を図って美しい街並みが維持されているそうです。サンフランシスコ中心部(サンフランシスコ市庁舎)から7kmほど、自動車で20分ほどという距離にあるこのゲーティッドコミュニティは1910年代に作られてから110年以上経った今も富裕層が住みたい高級住宅地として価値を維持しているようです。

ゲーテッドコミュニティは、日本ではほとんどないのでイメージしにくいと思いますが、近いものとしては、オートロックと管理人に守られた高級タワーマンションをイメージするといいでしょう。周りとは隔絶されたその地域は、治安が守られて富裕層が住みやすい街になっています。特に米国では地域が費用負担をすれば、自分達で独自の警察・消防組織を設置できるため、質がいい警察や消防サービスを維持できる大きなメリットが生じます。

1908年にT型フォードが生産開始されて始まった、モータリゼーション(車社会化)という流れに乗ったセント・フランシス・ウッドと、ハワードのガーデンシティ構想に、日本の郊外電車通勤という仕組みが組み合わさったのが、田園調布であり、後の日本のニュータウンだと考えると、その性質の違いが見えてきます。

米国のゲーテッドコミュニティがかなり高い費用を払ってでも住みたい街として維持できている一方で、日本の田園調布や町並みの美しさと区画の広さというだけでは、都心のマンションという近年の魅力に勝てずに新たな富裕層が入ってこず、また、相続税が高く、「上流階級」の厚みも薄い日本ではお屋敷の街を維持するのに苦労する事態が起きているわけです。

案外多様なで年齢構成も違う首都圏のニュータウン

英ハワードのガーデンシティが職住接近で実現した結果、その都市は自律性を保って、今も活気を持っているようです。また、サンフランシスコのゲーティッドシティは今や郊外というよりはモータリゼーション社会で都市の中の特別な区画として門や塀に守られた特別な区画としての価値を維持しているようです。

一方、田園調布や、千里ニュータウンなどの、日本の電車通勤を前提としたニュータウンは、遺産相続や、専業主婦というライフスタイルの消失といったできごとの中で問題を抱えているようです。

長期的な都市開発の成功例として、京成線に山万が開発したユーカリが丘が成功例として語られる記事があがりました。その反論をトランスコスモス・アナリティクス取締役の萩原雅之さんが書かれています。

>なぜ高度成長期の「ニュータウン」は、寂れてしまうのか?〜「ユーカリが丘」の奇跡に学べ
https://note.com/sumus_kobayashi/n/n40c87e4ab3d1

昼の投稿に多くの助言をいただき、あらためて作成してみた。ニュータウンは高齢化が進んでゴーストタウン化しているというのはやはり事実と異なる。ユーカリが丘は多摩センターより高齢者比率が高く、年齢構成は高島平に近い。逆に、35年以上経っても港北NT、千葉NTなどは若々しい。ニュータウンは寂れるどころか、若い子育て世代を引きつけ新陳代謝を繰り返しているのだ。(表の年代は街開きまたは駅開業年、カッコは駅から 1km圏内人口)
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ユーカリが丘は、不動産会社山万による長期的な都市開発の成功例としてよく語られています。確かにその努力は賞賛に値すると思いますが、年齢構成データでは、団地都市の代名詞、高島平とそう違わない年齢構成であることが分かります。「女子大駅」というユーカリが丘線の駅名の意気込みとは裏腹にキャンパスの誘致には成功していません。ホテルがあり、コミュニティとしていい街と聞きますが、ハワードが考えた職住接近の街 という姿ではなくベッドタウンになっており、30代の層が薄くなっているように見えます。

一方、高齢化が進み、エレベーターがない団地が問題と報道された多摩センターはイメージに反して若い人が結構多いことがわかります。案外、事務センターなどの事業所が多い街であり、職住接近も一部で実現しているようです。そして、多摩ニュータウンでもより開発が新しい南大沢は都立大やアウトレットモールがあり、集合住宅と戸建てのミックスでより持続性がある街になることが期待されています。リモートワーク時代になって新たな職住接近を実現しやすい街になるかもしれません。

千葉ニュータウンは、鉄道整備が遅れて開発も遅れ、鉄道運賃も高く、空き地が多いとかネガティブな報道多かったのですが、今や、データセンターが多数立地するなど住みやすい街として注目を集めています。成田空港に近いという利点も今後活かせるでしょう。港北ニュータウンは、横浜と東京の郊外であり、小田急線と田園都市線の中間地帯というネットワーク性が高い立地と緩やかな開発スピードが功を奏しているのかもしれません。川崎や横浜は工場や事業所の立地が元々多い地域です。ただ、開発時期としては一番遅く、まだ若い街であるということで他のニュータウンと同列には比較できないという点は留意したいところです。

都心のマンションか?郊外国道16号沿線か?という日本の「ニュータウン」の解決策

職住接近とか、ゲーテッドコミュニティという特徴を持たない日本の高級住宅街、田園調布は、富裕層を集められず相続税で苦労しています。また、ベッドタウンとして作られた高島平やユーカリが丘は街の高齢化という問題を抱えています。その解決策というか、問題を解消した日本の首都圏での住まいの形態何か?それは、都心のマンション住まいか、郊外でも国道16号のような工場や物流センター、ショッピングモールなどが立地して雇用が存在するモータリゼーション地域のどちらかではないかと考えます。

渋沢栄一が田園調布を構想した時代は街並みを整えた高級住宅街に富裕層が集まり街の価値が維持されるだろうというものでした。しかし、便利な都心のマンションという競合が生まれて、「田園調布に家が建つ」という成功の象徴も神通力を失っているように見えます。サラリーマン重役で門前にハイヤーが朝迎えに来るという、郊外邸宅の成功モデルは薄れ、日本のゲーテッドコミュニティたる都心のマンションが、一つの解になっています。

都心のマンションであれば、一般サラリーマン家庭の主婦が再び働き始める時にも都心に通勤する負担が小さくなります。夫婦二人が都心への通勤を続けながら結婚するモデルでも、通勤の負担が減らせます。都心回帰 という流れは職住接近を求める自然な流れだったといえるでしょう。

一方で、自家用車を二台以上持ち、自家用車で移動する、国道16号沿線てきなライフスタイルであれば、専業主婦の再就職でも職住接近で勤め先を探すことが可能です。「都心に長距離通勤するサラリーマン」という辛さはより安価に得られる広い住まいと自家用車での便利さで相殺されるでしょう。そして、リモートワーク時代を迎えて書斎や家庭内の仕事部屋を作りやすい利点は注目されはじめています。

20世紀後半に、「うさぎ小屋」と揶揄された狭い住宅に住み、遠距離通勤して、寝るだけのためのベッドタウンは、専業主婦モデルが崩れることに伴いその価値を失っています。今後は、都心に住むのか自動車通勤ができるような郊外に住むかという二極分化が日本の首都圏の問題を解決するのではないでしょうか?

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