「カラダにやさしいのは、石鹸ではなくて、せっけん」とか添加物幻想を斬る
「カラダにやさしいのは、石鹸ではなくて、せっけん」とか消費者に伝わらないように区別する汚い役人仕事という批判とともにこういう画像がFacebookで回ってきました。
こういう、役人が消費者を騙しているとかいう陰謀論はよく流れるのですが、その典型の一つでしょう。実際のところ、漢字と平仮名の交ぜ書きは当用漢字・常用漢字で決められたものに従っているだけであり、JISでは 「石けん」という表記で統一されており、そこで添加物もある程度認められているというのが事実のようです。「石鹸」や「せっけん」は慣用的なものであり、表記で違う意味が定義されているというのは誤解です。
そもそも、昔ながらの無添加の石鹸は洗うと手が荒れるもので、洗顔なんて思いつかなかった
Facebookでの投稿では昭和30年代生まれの50代と思しき方が、無添加の「せっけん」を賞賛されていました。しかし、私は昭和40年代に学校で使われている昔ながらの安い石けんで、手が荒れてガサガサになったのをなぜ覚えています。汚れは落ちるけどそれで手の保湿性が失われて荒れるのが昔ながらの無添加の石けんでした。その無添加石けんの問題を解決すべく、牛乳の保湿成分が入っているとかクリームみたいな石けん、とかが生まれて、そこから洗顔にも石けんを使うようになりました。
その後、添加物よくないとか、天然じゃない成分がよくない という思想が生まれて、天然成分で肌が荒れにくいとかいろいろな方向の商品が生まれてきたわけなんですが、元々の石けん 自体が肌を荒らすということが忘れられてしまっているのでしょう。
もちろん、牛乳由来の成分が自分に肌に合わないとかいろんな方がいらっしゃるので、元々の、苛性ソーダで作ったままの純粋な石けんの方がいいとかいろんな方がいらっしゃると思います。でも、添加物が悪者で無添加がカラダにやさしいというのは間違った固定観念だとは断言できます。