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ソフトウェアは私たちに幸福をもたらすことができるのか

「米国流」から「世界流」へ

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 「日本流」の話は話題が尽きませんね(笑)。

 さて、私も最初は、永井さんの指摘のように「日本は特別な市場なのだ。だから我々は日本流でやる。」という話のもっていきかたをしていました。製品開発においても「英語版を移植する」「足りない機能を付け足す」という作業をしていました。しかし、「特殊だ」「特別だ」というのは、「お前らにはわからないだろう」と言っているのに等しく、相手を説得するためにはあまり上手い手法ではないことを学びました。

 それからは、私は「日本は特殊ではない。このコンセプトもほとんどの機能も受けいれらる。しかしさらに、ここをこういう風にするともっと売れる。コミットする。」というような話の組み立て方をするようにしました。日本が特殊でないことを言うために、ドイツ、フランス、台湾にいた同僚と結託して、アメリカ市場と違うことがあることを「教えてあげた」のでした(笑)。

 そのうちに、米国以外の市場の売上が増加し、各国言語、各国市場の対応を各国で行っているのは逆にコスト的にも時間的にもデメリットが大きいということで、米国で開発するものに世界のいろいろな市場で必要な仕様を入れるようになりました。「WWSS」 (World Wide Simultaneous Shipment=世界同時出荷)ということが旗印に挙げられ、何ヶ国語を同時に出せるかが開発チームのメジャメントのひとつになったりもしました。

 「特殊だ」というのは正しい側面もありますが、自ら「特殊だ」と定義付けると、その市場が立ち上がっていない場合(社内での日本のシェアが低い場合)は、対応をしてもらえず、ずっと冷や飯を食うことになりかねません(泣)。グローバル意識の高い本社の人たちに、「米国流」から「世界流」になって、もう一段高い視野を持ってもらうための手伝いをするのも一つの方策ですね。

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