人との出会いとディスカッションを生み出す学会のチカラ
電子情報通信学会の総合大会で仙台に来ています。
大学関係のエントリが続いて恐縮だが、学会に来て改めて人との出会いのチカラを感じたので書かせてもらう。
出会いのチカラ
当たり前の話だとは思うが、人は、一人では生きていけない。家庭・地域・学校・会社といった何らかの社会・組織に属して生きている。組織に属している、ということは、その組織での常識や考え方に囚われて生きる、ということになる。
だから、同じ組織の中だけで生きていると、安心感・安定感はあるけれど、考え方が固定化し、発想も貧困になってしまうことが多い。他の人との出会いの範囲は組織のサイズで決められてしまうと同時に、刺激を受けることも少なくなってしまう。
一方、世の中に出ると他の組織の人との「出会い」がある。他の組織での考え方や、知識を知ることによって、自分の世界が広がることになるし、互いに刺激を与え会うことが可能になる。最近、ネットを介して「勉強会」などが開催されることが多いが、これもそういった「出会い」を求めているものかと思う。
参考:「リアルイベント開催のためのパターンランゲージ」
http://eto.com/2010/paper/asianplop2010.pdf
よく、歴史上の人物が、重要な「出会い」によって人生が変わった、といった記載を見ることがある。それは恩師であったり、敵であったりすることもあろうが、一人でやるのではなく、「他人」と関わることによって、新たなチカラを生み出される、ということは歴史的に証明された事実だと思う。
学会のチカラ
で、学会である。確かに学会は一つの組織かもしれない。学会の中に閉じこもって、一つの価値観を守りあう、といったこともあることは知っている。しかし、でも、やはり、「学会は人が集まる場」として重要なのだ、ということを今回、あらためて認識した。
「学会」というコンテキストを持つことによって、参加者の間には「知的なディスカッション」をすることが【重要】という共通認識が存在している。これが非常に重要だと考える。もちろん、参加者の意識レベルや知識レベルなどが違うことによって、議論が非効率になることはあるだろうが、そんな問題を乗り越えても、互いに議論をすることによって得られるものが大きいと考える。
実は私自身も、「学会」への参加に意味を見いだせない時期があった。研究者の世界では、先端的な研究は「国際会議」で発表され、研究成果として評価されるのは「査読付き論文」であるからだ。いわゆる「年次大会」や「総合大会」といった学会は、大規模で裾野が広く、玉石混交であるため、時間的な効率や成果としての意義が低いと考えていたからだ。
しかし、今回の電子情報通信学会総合大会に参加してみて、考えが変わった。研究成果を発表しあう事だけが学会の機能ではなかったのだ。「知的ディスカッションをする」というコンテキストで、人の出会いを生み出すのが学会なのだ、と思うのだ。
人と会ってディスカッションをしよう
研究をする際にも、開発をする際にも「モチベーション」は重要である。この「モチベーション」をキープし続けるために、人との出会いやディスカッションは重要な役割を果たす。人のチカラを生み出すには、これがとても重要だと思う。
だから、だからこそ「人との出会い」そして「ディスカッション」を大切にしたいと思うのだ。