本当に大切なことはウェブには載っていない
またまた久しぶりのエントリとなってしまった。
2010年になって2週間が経とうとしているのに、
やっとBlog上で「あけましておめでとう」といえる。
本年もよろしくお願いいたします。
さて、ここしばらく、いろいろな事に忙殺されてきたために、
Blogに書くようなネタがいくつも頭に浮かんでは消えてしまった。
(残念な限りではあるが。。)
その中でまだ頭の片隅に残っている内容を今日は書いてみたい。
学習の高速道路の登場
インターネットとウェブの登場によって、学習の「高速道路」ができたという比喩(by 梅田望夫 original from 羽生善治)は皆さんもご存知だと思う。
ネットを利用する環境さえあれば、年齢や性別、地理、費用負担的な差別なしに誰もがフラットに学習環境を享受できる、というものだ。確かに、膨大な情報やオンライン環境を上手に使うことができれば、誰もが自由に多くのことを学ぶことができる。
昨年のエントリでも書いたが Twitterなどを使えば、近寄ることもできないような著名人のとりまきになって、その関心や意識を垣間見ることもできる。
ネットによって個人の力が拡張さているのは間違いなく、高速道路という意見についても何ら否定するつもりではない。
では、ウェブには世の中のことは何でも載っているのか?
ウェブを検索すれば、どんな情報でも見つかるのか?
といえばそうでは無いはずだ。
ウェブ上にある情報とは
ウェブにある情報は、間違いなく、誰かが何らかの意図を持って掲載されている情報である、ということに注意しなくてはならない。
その意図は、新聞や雑誌のように情報伝達機能と広告とのマッチングであったり、
Blogのように、個人の意見の共有であったり、Wikipediaのように百科事典の構築であるかもしれない。
とにかく、誰かが情報を公開し共有しようという意図を持っており、かつそのコスト(時間や手間や費用)を負担する人がいなければ、その情報はウェブには存在しない。
さらに、ウェブに載せるだけの技術や知識を持った人が関与していなければ、その情報やサービスはウェブ上には存在しないはずだ。
つまり、時間や手間や費用や技術がすべて揃っていなければ、ウェブ上の情報は成立していないはずなのである。
すると、これらのうちいくつかを持たない人だけが持っている情報は
ウェブ上には存在しないことになる。
だから、ウェブ上にある情報が世の中すべての情報を反映している、と安易に考えることは本当に問題だと思う。
もちろん、情報技術の向上や知識の普及によって上記の障害は少なくなっており、その結果、ウェブには多数の人が関与しているため、膨大な情報が記録されているのは間違いではない。
また、相対的にウェブを使う人が増えているために、ウェブ上にもある程度、社会情勢が反映されているのは間違いない。しかし、ウェブ上に有る・無いといった情報で、社会に存在する・しない、と判断することは極めて危険だと思う。
本当に大切なことはウェブには載っていない
何が「本当に大切か」という議論は不毛なので、ここでは行わないが、「大切なこと」を知っていそうな、社会でそれなりの立場にある人や、本当に重要な仕事をしている人は、自分の仕事以外に、ウェブ上に情報発信をできる時間を持っているとは限らない、ということに注意してほしい。
もちろん、そういった人の中にも、意識をもって情報発信をしてくださっている方々が多くいることは理解している。しかし、全員ではない、ということが重要なのだ。
身の回りの話で恐縮だが、昨今の大学教員は外部資金獲得や評価資料の作成、学生指導、学会、などで忙殺されており、十分に情報発信を行う時間を持っているとは言い難い。
もちろん、大学教員なので講義をする、といった教育活動は行っているが、それをウェブの上まで広げて行っているわけではないのである。
大学の講義では、教科書に沿って行う場合もあるが、本当に大事なのは、教科書の内容に関連した教授の含蓄あるコメントであろう。つまり、本質的な理解を助けるような大事なことは教科書にも書かれていない場合があるのだ。
会社でも、有能な人ほど、いろいろが仕事に忙殺され、大切なドキュメントを残す暇が無い人がいるかと思う。そんな人が、有用な情報をウェブ上に記載する余裕があるとはとうてい思えない。
そういった「本当に大切」な知識や知恵やノウハウは、それを持った人の側に行き、本人の言葉から聞くことが大切なのではないか、と思う今日この頃である。
ネットで個人が拡張されているからこそ、人と会って、有益な時間を過ごすことも大切だと思うのだ。