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Twitter を活用して「あの人」の「バーチャル取り巻き」になり「得難い知恵」を獲得しよう

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実社会の「取り巻き」

実社会において、著名人や権力者には「取り巻き」と呼ばれる人々が存在する。 「取り巻き」とは、一般に、何らかの利益を得るために、著名人の近くに存在する人々のことを指す。 (事実、辞書等の定義はそうなってますね。 (三省堂) ) 多くの方は、この言葉に少しネガティブな印象をもたれる場合があるかと思う。

なぜ「取り巻き」になるかといえば、普段から近くにいたり、頻繁に連絡を取り合うことによって、 有利な情報を入手したり、逆に著名人をサポートすることによって、恩を売り、将来に何らかの 便宜を図ってもらう、といったことが目的であろう。

また、取り巻きと著名人の間で非公開で行われる情報交換には、 ネガティブな部分が存在しうるし、実際に そうやって便宜を得ている人がいるため、 結果として「取り巻き」という言葉は悪い印象を持つことになる。

ポジティブな意味での「取り巻き」

しかし「取り巻き」が行っている行為には、 ポジティブな面もあると個人的には考えている。 「ファン」が進化しただけのミーハーな「取り巻き」には、 ほとんど意味がないが、 本当は「弟子」になりたかったのだが、 いろいろな理由でそうなれず、結果としての「取り巻き」であれば、 他人に迷惑さえかけなければ、あっても良いはずだ。

大工の弟子が師匠の技を目で盗んだように、 著名人の振る舞いや知識や日頃のつぶやきを、 近くにいて吸収することは、一つの修行の手段であろうし、 場合によっては最高の知識の吸収手法にもなり得るだろう。いわゆる勝手に丁稚奉公をする、といった感じかもしれない。

Twitterによる「バーチャル取り巻き」

さて、Twitter である。大変シンプルなツールにも関わらず、 いろいろなコミュニケーションに活用が可能であることは、 皆さん周知のとおりである。

しかし、当blogでも、Twitterリテラシとして警告をさせていただいたが、一般人が気楽に情報を発信するメディア であるか、といえば、実は違うかも知れない、と思いがある。一方、情報発信ではなく、情報収集のためのツールとして考えたとき、改めて、Twitterには大切な利用法があるのではないか、と思うに至った。

すなわち、これまで、地理的、時間的に「取り巻き」に なれなかった人が、「あの人」の「バーチャル取り巻き」になる ツールとしてTwitterが使えるのだ。

しかも実社会の「取り巻き」において、ネガティブな印象を与える「非公開な情報交換」は、 Twitter の「公開性」という性質により、まったく行われないため、「バーチャル取り巻き」は、 むしろ明るく健全な印象がある。

つまり、著名人に対しては、「フォローする」=「バーチャル取り巻きになる」と 言い換えてもいいのではないか。 ネガティブな語感が気になるなら単に「ファンになる」「弟子になる」でもよいかもしれない。(ネーミングが悪いのは承知しています。他にもっと良い呼び方募集中。)

新しいTwitterの使い方を

Twitterの使い方として、多くの人は、当初、知り合いだけを 「フォロー」するということから始めると思う。

しかし「バーチャル取り巻き」になる、と意識して「フォロー」をすることによって、 「あの人」の日常的な行動や思考、知識などを、まるで取り巻きのごとく 見守ることが可能になる。

これまでは、偶然「あの人」の近くにいた人しか得られなかった情報が Twitterによって、世界中の人に共有される、ということは、実は「ものすごいこと」を可能にしている。 時間・空間の制約をとりはらい、また、物理的な人数制限をもとり除くことによって、誰もが自分の意中の人の「バーチャル取り巻き」となって、 そのつぶやきを見守ることができるのだ。

特定の会社や組織に属さなければ、その様子を伺い知ることができなかった著名人も、今やTwitterの中でフォローすることが可能になる。さらに、実世界では、せいぜい1人しか「追っかけ」できなかったのに、Twitterでは理論的には何人でも「追っかけ」できてしまうのだ。時空間と物理的制約から解放されたことによって、これほどの「学びの高速道路」ができてしまったことは、新しい学習法を生み出すことになったともいえよう。

これまで、何となく、有名人や発言の面白い人を「フォロー」してきたTwitterのユーザも、「バーチャル取り巻き」や「バーチャル勝手弟子」として、知識を受け取ることを意識することによって、「得難い知恵」の獲得ができるようになるのではないか。

もちろん、TwitterのTimeLineには、知識となる情報以外の、一見無駄のような情報も多く流れてくる。しかし「取り巻き」として1日中張り付いていることに比べれば、その程度のS/N比は何の問題も無い。むしろ宝の一言を探すつもりでTimeLineを見るべきではないだろうか。

ぜひ、自分なりの「あの人」を見つけて「バーチャル取り巻き」になり、「得難い知識」を身に着けてほしい。そして、その知識をまた他の人に発信してほしい。情報技術によって、誰もが真に「知的な活動」に従事できるなんて、素晴らしいと思う。

「バーチャル取り巻き」への情報発信

一方、情報発信する側にとっても「バーチャル取り巻き」=「フォロワー」の存在は ありがたいものである。

現実社会で、政治家に対して「取り巻き」が多いのは、権力者の周囲には往々にしてその便宜を期待して人が集まるためである。影響力の大きい人には、多くの人が「取り巻き」になる。

Twitterの世界でも同様で、「著名である」「影響力が大きい」「発言の情報量が高い」といった理由で、フォロワーの数が決まる。フォロワーの数が多ければ、1つのつぶやきが多くの人に読まれる可能性も高く、Retweetなどによって、広がることも期待できる。すなわち、情報発信をする人にとっても、有利な状況が生まれている。

最近では、政治家もTwitterを利用することが多くなりつつある。 これは、Twitterがユーザへのダイレクトな情報発信の手法であることに加え、従来の「取り巻き」と同様のフォロワーの多さが影響力の大きさを表すことにつながる点もあるのではないか。

Twitterは、結果的に、著名人や高品質な情報を発信する人といった「情報発信側」と、多くの人をフォローして「バーチャル取り巻き」になりたい「情報取得側」とのエコシステムを実現することによって普及しているといえよう。(もちろん、その両方を同時にしている人も多数存在するだろうし、身内だけでフォローしあう人々もいることは理解している。)

勝間和代氏(@kazuyo_k)や広瀬香美氏 (@kohmi)のような著名人の参加によって、 日本でTwitterが急速に普及したのは、上記の「バーチャル取り巻き」によるエコシステムの証左で あろう。

TwitterやBlogの使いこなし

Twitterが、フォロワーが「取り巻き」になることをバーチャルに実現するものであるとすれば、本エントリのようなBlog は読者が「講演会の聴衆」となることをバーチャルに実現しているといえるかもしれない。このように、現実社会では、簡単でなかったことが情報ネットワークの中では簡単に実現できるようになっている。

社会を情報発信を「できる人」と「できない人」に分けてしまう、という意味で TwitterやBlogは恐ろしいツールでもあるが、こういったツールを使いこなすリテラシこそ、現代社会で、誰もが身に着けるべきものである。その力が「ある人」と「ない人」では、情報収集能力に極端な差ができてしまう。いわゆる「情報格差・ディジタルディバイド」である。Twitter の登場・普及によって、情報格差社会も、新たな段階に入ったといえる。情報発信・収集側の双方共に、ますます様々なメディアの特性を使いこなす能力が求められているのだ。

私自身(@nkawa)は、可能ならば両方の立場で、多くの情報を得つつ、 自分なりの情報発信をして、この情報格差を減らすための情報技術の研究開発を進めたいと考えている。情報リテラシについては、まだまだ思うところがあるので、機会を見て書かせていただきたい。

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