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もしも洞察力があったなら……。

【広報かるた】・【さ】三時過ぎ、緊急会見案内して、やってきたのは記者三人。

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東証などの上場企業にとって、人事、業績、M&A関連する重要な情報の開示に関しては、証券取引市場の混乱や早耳情報による不公平感をなくすために、場が閉まっている時間に発表を行うのが通例とされています。また、新聞などの締め切りを鑑みて遅くなりすぎないように、上記にかかる緊急会見については、後場が終わる午後三時過ぎを目安に会見の案内を行い、四時頃から会見を開始することがあります。案内からたった一時間で記者なんて集まるの?と疑問をお持ちの方はいると思いますが、例えば東証内にある兜クラブでこれを行う場合には、クラブに詰めている記者が大勢いますから、重度によってはそれなりに人数が集まる場合があります。

 
*記者クラブを通じた発表の場合は事前に予告を行うのが原則とされていますが、緊急の場合は必ずしもこれに当てはまりません。
 
一方で、M&Aなどではなく、企業同士の事業協業の場合には、企業側が重要だと思っていても、受け止める記者がそれほどでもないと思ってしまった場合には思わぬ事態になることがあります。上場企業同士の投資、つまり、資源拠出を伴う包括提携ならまだしも、いっさいの投資を伴わない「協力」を題材にした発表などがそれです。経団連や東証で行うのではなく、少し離れた場所を会見場に選んでしまった場合にも要注意です。記者もこの夕方の時間はその日の記事の最終調整段階に入っているので、物理的に会見場に足を運べないことがあります。
 
さて、これはうんと昔のことですが、とあるIT企業との協業発表で、先方の段取りに合わせて産業経済系の新聞社が母体となって運営する都内の会館を会場にして、会見を行ったことがあります。なぜか100名は入る会場を準備。諸々段取りを組んで、その日の証券市場が閉まってから案内を開始。そして四時に会見をはじめたのです。
 
しかし、待てど暮らせど記者は来ない。時間までにやっと集まった記者は三人でした。資料だけとりにきた方もいたので総数は四名と言ってもいいのかもしれませんが、会場で座って話を聞いてくれたのは、三人。何度数えても三人。会見とは酷なものです。相手が一人でもいる以上、その会見は約束通りに行わなければなりません。そして、その発表は行われました。
 
会見そのものは、会場、部屋の広さ、時間などいくつもの反省点があり、見た目だけで言えば、とても成功したとは言えないでしょう。そもそも緊急会見のような見せ方が必要だったのかどうかすら、疑問としてあげておかなければなりません。
 
ところで、広報の奥深さというのはここから先にあります。会見の成否は、いったいどこで測るべきなのでしょうか。記者の数でしょうか。それとも掲載記事の量や大きさでしょうか。これらのどれもが当てはまる可能性がありますが、記者の数というのは時と場合によっては割り引いてみる必要があるようです。
 
というのも、会見には三人しかこなかったのですが、その内容はニュースリリースを通じて全国紙や経済紙を含め、十数媒体に報じられたからです。後日、ことの顛末を記者に聞いてみると、たまたま他の緊急会見と重なっていて、物理的に足を運ぶことができなかったが、内容は軽視できないと考え、資料ベースで記事化した、とのことでした。
 
会見を開く以上は、多くの記者に来てもらった方が発表者は奮起しますし、その会見の熱気を記者同士が体温として感じ、その体温が文字に表われる、なんて言うこともあるでしょう。
*余談:シリコンバレーにいる友人記者は、「体温の感じられる報道をする」がモットーだそうです。
 
また、会見場にどれだけ人がいたかによって、記事の掲載規模はある程度予想が立つことから、会見場にはなるべく記者が集まった方がいい、と考えてしまうのは広報担当者の性(さが)。
 
しかし、現実は時としてよい意味で裏切られることがあるのです。
 
つまり、記事の多寡の本質は、その中身そのもの。内容が社会にインパクトを与えると想起できるものなら、必然的に報道される。だからこそ、メッセージをしっかりと作り込むことにより多くの時間を割くべきだと言えるでしょう。参加記者の人数なんて気にしないで。(いやそれは極端かも。やっぱり少ないとツライよね。) 
 
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