永続性のないものをインフラと呼べるか?というまたまた難問に出会ったので考えてみた。
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Facebook上で自分のまとまっていないシナプスの種を書いていると、時折多くの方から「いいね!」を頂いたりする。そういう内容はきっともっと多くの方とシェアしたほうがいいんだろうな、と考えてこちらに載せたりしています。
今回は、それほど多くの方の目にとまったわけではありませんが、そのまとまりきらないシナプスの種をばらまいて、いつかもっと大きなテーマにできたらいいな、と思ったので、載せてみます。ちょっとぼんやりした内容なので、ぜひ肩の力を抜いて。
情報やサービスの永続性って、大事だなとつとに思うことを近年あちこちで体験するようになりました。
永続性、それは論理的に永遠ということではないにしても、人の一生程度の時間軸で考えるとしたら、百年単位で物事を維持すること、と仮に定義しましょう。永続性=100年くらいは長持ちするもの、ということで。
歴史的建造物は築数百年とか、古文書は数百年前、美術品や焼き物でやはり数百年前のものが現存したりして、そういう息の長い、歴史を刻んできたモノが沢山身の回りにありますね。
世界最古の歌は3400年前のものがあるとか。。。
一方で、私のようなサンジオならだれでも知っていることでいえば、ダイアルアップインターネットサービスとか、2Gの携帯電話サー ビスとか、巷にあふれるインターネットサービスとか、昔撮った8 mmビデオの映像とか、ZIPディスクやJAZZに保存したファ イルとか・・・
この半世紀ほどの間に発明され、世の中に出てきたもののいくつかが、悲しいかな「使ってい る人の数が少ない」「使用頻度が少ない」「新しいものに移行」っていう理由でEnd Of Lifeになるという状況を目の当たりにしてきました。
まったく個人的な話ですが、1999年、長男の生まれたころの映像は当時全盛だった8mmビデオに収録してあります。カセットは残っていますが、カメラが故障 してしまいました。再生機は持っていません。観るためにはきっとアキバの中古ショップ をめぐって入手しなければなりません。緊急性は低いわけで、これはちょっと面倒に思っています。
古稀を迎えた実家の両親は、この年初までダイアルアップサービスでネットにつなげてまし た。10年前のパソコンで。メールしか見ないからいいということだったのですが、肝心のPCが故障したなどいろい ろあって、結局総入れ替え。ネットワークはADSLにしたのでした。
今乗っている車。購入当時は、知る人ぞ知るインターナビというちょっと気に入っていたITSにつなげて、以前は快適に「ITド ライブ」を満喫していました。しかし、対応していた携帯電話が標準では「mova」のみと いう残念な状況でした。「mova」サービス終了に伴い、今はインターナビにつなげられないもんだから、エンジ ンかけるたびに「エンジンオイルを確認してください」といちいち しゃべってくれる。いや、結構うるさい。ディーラーに相談したら、それは(アカウント管理上)自分でやってくだ さい、ということなのでした。しかし、ネットでつなげられないのではどうしようもありません。
つまり、、、今の情報技術やサービスは、永続性を保証できるような盤石なものでは必ずしもなく、10年単位で俯瞰して観察したなら、押し寄せては引く波のように次々に変化しているのだと 。ガジェットやテクノロジーのエンスーはそれを楽しめるだろうけ ど、「安心して、安定して暮したい」と言う、ソトコト人には少々困った話。
ちょっと別の視点で、
「超整理術」みたいなライフハック本で、「しばらく見なかったものは捨てる 」という整理術がもてはやされました。これが転じて、「しばらくアクセスしなかったデータは捨てる」という考 え方を言う人が出てきました。私も一時期ハマった口ですから、あまり大きなことは言えませんが、今振り返って、やはりこれはおかしいと思うのです。たとえば一年間その情報を使わなかったとして、それ以 降使わないとどうして断言できるのか。それは帰納的でしょうか。論理的でしょうか。
この春に起きたこと。私たちのCEOが来日しました。その折、かつて「この写真はしばらくアクセスし ていないからいらない」と言って破棄してしまった画像がどうしても必要になってしまったのです。それはもう必死で探しましたよ。情報源にいくつも当たりました。苦労して結局とある場所で見つけ たわけですが。。。バックアップをとってあったからよかったのです。大げさにいえば九死に一生を得た気持ちでした。
永続するサービス、 永続するデータ。これって、とっても大事な議論だと思うのです。この産業や私たちの経済基盤が盤石になっていくためにとても重要なことだと。
あえて申し上げると、
築いた高速道路は、滅多なことではなくなりません。これがインフラ。誰かの都合ですぐになくなるかもしれないものを指して、インフラストラクチャと呼んではいけないと強く思います。インフラそのものにに敬意を表して。
この半世紀ほどの間に発明され、世の中に出てきたもののいくつかが、悲しいかな「使ってい
まったく個人的な話ですが、1999年、長男の生まれたころの映像は当時全盛だった8mmビデオに収録してあります。カセットは残っていますが、カメラが故障
古稀を迎えた実家の両親は、この年初までダイアルアップサービスでネットにつなげてまし
今乗っている車。購入当時は、知る人ぞ知るインターナビというちょっと気に入っていたITSにつなげて、以前は快適に「ITド
つまり、、、今の情報技術やサービスは、永続性を保証できるような盤石なものでは必ずしもなく、10年単位で俯瞰して観察したなら、押し寄せては引く波のように次々に変化しているのだと
ちょっと別の視点で、
「超整理術」みたいなライフハック本で、「しばらく見なかったものは捨てる
この春に起きたこと。私たちのCEOが来日しました。その折、かつて「この写真はしばらくアクセスし
永続するサービス、 永続するデータ。これって、とっても大事な議論だと思うのです。この産業や私たちの経済基盤が盤石になっていくためにとても重要なことだと。
あえて申し上げると、
築いた高速道路は、滅多なことではなくなりません。これがインフラ。誰かの都合ですぐになくなるかもしれないものを指して、インフラストラクチャと呼んではいけないと強く思います。インフラそのものにに敬意を表して。
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