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もしも洞察力があったなら……。

プロとアマチュアのカメラマンに違いはたくさんあるんだろう。

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桜満開。随所で花見を楽しんだ方々の写真がFacebookとかTwitterなどであがっていて、どれどれ、と開いてみると、まぁなんて素敵な写真。皆さん、本当に写真が上手です。

カメラの性能がものすごく高いのと、皆さんがソーシャルメディアなどを通じて写真を発表する機会が増え、多くの経験を積んできているからなのか

「被写界深度が・・・」
「ここはあえて逆光で・・・」
「色温度が・・・」

とか、CAPAでも一年くらい熟読していないと理解できないような会話が聞こえてきそうです。

その場の確認や撮り直しがきかない銀塩時代にカメラ小僧だった私は、撮影するときも、現像に出すときも、上がってきた写真の出来をみて喜んだり落ち込んだりするのが日課のような生活をしていました。そして、プロのカメラマンの作品と出会うと、あまりにもの腕前の差に驚き、感動してきたわけです。

今は、超高性能なデジカメが当たり前。私が18年ほど前に初めて買ったデジカメはアップルのQuickTake100。35万画素程度の、今で言うと大型のトイカメラってとこでしょうか。画質は粗くも、パソコンですぐに画像を確認できたのが嬉しかったものです。

10年前には、コダック社から1000万画素を超える一眼レフが出て、その高性能ぶりにお値段と共に驚いたものです。私の友人のプロカメラマンがレンズ等込みで70-80万円で購入したのをよく覚えています。

今、1ギガピクセル(約1024万画素)のカメラって、いくらくらいしますかね。先日私が購入したのはコンパクトタイプでしたが、2万円しませんでした。もちろん画素数がすべてではないんです。レンズや受光部の性能だったり、連続シャッター性能だったり、電池の持ち時間や対応メディアなど、比較するべきことはたくさんあります。もちろん、搭載しているソフトウェアも。

しかしとにかく一つ言えるのは、昔昔、写真はとっても難しいものでした。それが、今は、ものすごく簡単になっています。「Simplify写真」です。シャッターを押すだけで誰でもある程度の素敵な写真が撮れるという時代。これはもう技術革新でしょう。

と、同時に、すごく乱暴なことを申し上げてしまって、きっと方々からおしかりを受けるのかもしれないのですが、

こんな時代になって、プロの方とアマチュアの方の差は一体どこにあるのでしょう。

一口に「センスが違う」という方もいます。
「的確な構図を決めるまでのスピードや効率が違う」という方もいます。
「不測の事態が発生してピンチに陥った時の対処対応が違う」という方もいます。

その他、技術、見識、対応力などの面で様々な違いはあるでしょう。それはわかります。

しかし、それを論じて理解できるのはその道の人たちの中であって、写真やカメラの世界に普段関心をそれほど払っていない人たちはどう感じるでしょうか。

かつてこんなことがありました。

某建造物の写真をデジカメで撮影して、とある社長と役員の前でプレゼンした時のことです。
「写真、すごいね。さすが、プロは違うねぇ。」と、とってもほめられました。その社長&役員は本当にプロの方が撮ったのだと思ってくれていたようです。

私は嬉しさのあまり、余計なひと言
「これ、僕が撮ったんです。」と誇らしげに言ってしまったんですね。
そうすると、「何だ、お前が撮ったのか。」と、その社長と役員は急に不機嫌になってしまいました。

プレゼン失敗です。

つまりこれは、相手の目利きを否定してしまったんですね。僭越な言い方をすれば、その写真は割とまぁまぁよく撮れているものではあったので、「プロっぽい」という風に見えなくもないのですが。

さて、何を言いたいのか。
これまで私はおそらく100名ほどのプロのカメラマンの方々とお会いし、お仕事をさせていただいてきました。彼らのプロフェッショナルな動きや見識の深さについては議論も疑念の余地もありません。

しかし、次々とネットにアップされる満開の桜の写真を見て私は素直に「日本っていいなぁ」と感動し、思ったのです。

同じ条件で同じテーマの写真を撮った時に、それを見た素人が衝撃や感動を覚える作品というのはどちらなのか。見方によっては、もはやプロアマの境界線はなくなりつつあるのではないか、というものです。

これは音楽などその他のアートの世界にも通ずる話かもしれません。





*いやーこんなこと書くと、恥ずかしくて写真載せられなくなっちゃいますね。

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