誕生日にTwitterなどでメッセージをたくさんいただいたので「持続するアンビエント」について考えてみた
Twitterやメールなどで「たんじょうびおめでとう!」とたくさんのメッセージを頂いた。皆さんありがとうございました。
こうしたメッセージをもらった時、素直にとてもうれしく、ありがたく思う。そのことに時間を割いてくれたことに感謝をするのだ。
さて、夜中に仲間とすごすべく地元のとあるお店に行ってきた。ひとしきりたわいもない話で盛り上がっていたところで、ある常連&友人がローソクとケーキを買ってきてくれた。そしてにわかにささやかな誕生会が始まったのである。これはとてもうれしい。
メールやTwitterでもらうメッセージと、実際に言葉をかけてもらうことの意味や違いは何であろうか。そんなことに考えを巡らせてみた。
メールやTwitterは多くの発見をもたらすし、楽しいことがたくさんある。しかし、画面から顔を上げると、それらは一瞬にして消え去ってしまうのだ。それは、誤解を恐れず言うが、儚く、むなしい。
一方、実際に人と会っているときの楽しさは、そこに漂う。その空間を出ていくまでは消えないのだ。目を閉じても、まだそこに「アンビエント」(空気)が漂っている。ただし、世界はとても狭い。私の例でいえば、全員が埼玉県民である。これは、狭い。
この対比は、とても面白い
デジタルとリアルが融合することで、この喜びの空気がもっと持続性を増すのではないだろうか。
ところで「アンビエント・アウェアネス」という言葉をご存じだろうか。これは、空気を読む力そのものを指す。詳しくは、同じオルタナブロガーの鈴木さんが解説をされているので参照されたい。
さて、いまさらリアルだデジタルだと区別をする気はなく、Twitterの世界観と目の前に起きていることを日常生活で起きていることが密接にもっと結び付いたらもっと面白くなるはずだ、というのが今日の視点。先の誕生祝いでいえば、会に参加する人たちが皆Twitterを活用していて、数多のメッセージのいくつかは実際に目の前にいる人からのものだったりする。顔を上げてもそこにはデジタルとリアルが融合したアンビエントが広がっている---
---実は、都市部ではこうした催しものは頻繁に行われているが、私の住むエリアではまだまだなのが実情。昨日一緒に居たメンバーのうち、Twitterアカウントを持っているのは実に1/4。中には携帯電話を持っていない人もいる。私がiPhone片手にツイ飲み等をやっていると「変わってる」という人もいる。
ある特定のコミュニティの世界観を越えて、分断されたデジタルとリアルが融合する日はいつだろうか。私たちのような準シニア世代がその変化を受け入れられるのが先か、それとも、デジタルネイティブ世代がシニアになるのが先か。いや、できればそういう時が早く来て、喜びのアンビエントをいつでも、どこでも持続して楽しめたらいいと思うのだ。