パイロットという憧れの仕事
その方は、大蔵省の役人を勤め上げ、息子夫婦や孫と共に暮らしながら第二の人生を歩んでいました。
心臓を患っていたその方は、自身の死期を感じ取っていたのか、私の人生はそう長くない、という宣言を家族にしていたのだそうです。昨年12月に、その家族は自宅近くのレストランで食事をしていました。その方は、とてもうれしそうに家族との会話を楽しみながら、普段はあまり飲まないお酒を口につけ、「今日は飲むぞ」などと幸せ一杯、それは満面の笑顔で、すごしていたそうです。
食事後、レストランを出てほどなく、その方は体調を崩し、そのまま亡くなってしまいました。ご家族は突然のことで驚き、悲しみましたが、幸せな気持ちで逝ったことだろうと、程なく受け入れることができたそうです。
*なお、原因がお酒にあるわけではありません。葬儀は、折りしもちょうどクリスマス。葬儀会社は会場をクリスマス色に彩って式の準備を進めたそうです。ご家族の方々は、その華やかな葬儀に似つかわしい、その方の遺影を探しました。最近撮ったもの昔撮ったものを整理していたところ、ご本人が40代の頃、溢れんばかりの笑顔で写っている写真が見つかりました。その写真は、パイロットの帽子をかぶっていました。その方は、官僚になる前は、飛行機のパイロットを目指していたそうです。残念ながらその夢は叶わず入省したわけですが、その長いキャリアの途中で、たまたま空港の見学などと共に飛行機のパイロットの帽子をかぶって記念撮影をしたとか。ご本人はさぞかしうれしかったことでしょう。その笑顔を遺影に、しめやかに葬儀は行われたそうです。
パイロットは、男の子にはあこがれの職業でした。特に、1950年代の旅客機就航とともに、パイロットは高嶺の花ながら、誰でもなれるかもしれない職業の一つとして夢見た子どもたちは少なくありません。
巨大航空会社の再建への針路に関する多くの報道がなされています。1951年に始まって以来の半世紀以上の歴史に、一つ、区切りをつけることになりました。
その航空会社のパイロットは、多くの人が夢見るほどになりたい、しかし、一握りの人しかなることができない職業。人々からあこがれられる仕事を、根絶やしにすることなく、近い将来、見事に再建・復活してくれることを祈っています。