記事が出たら記者に「ありがとう」を言う?言わない?
先日とあるブロガーズミーティングに参加をして、エントリーをアップしたところ、Twitter経由で「掲載ありがとうございました」とお礼のメッセージをいただきました。それを受け取ったときは、読んでくれたんだ、なんかちょっとうれしいな、と笑みを浮かべていたわけですが、よくよく考えると違和感が。
相手の方はPRエージェンシー(古い言い方をするとPR代理店。モダンな言い方はPRコンサルタント。役割は日に日に変化しています。)の若手の担当者だったわけです。この担当者の方は訪問先となった事業会社の広報をお手伝いしていて、とても一所懸命動く姿を見て好感。そのブロガーズミーティングでの活動成果について彼らが情報収集することは必然でした。
かく言う私。ブロガーズミーティングには、できるだけブロガーの視点で赴きました。そして、そこでディスカッションされたことや教えてもらったことがとっても面白かったので、その内容を、少しの考察を交えて、エントリー(投稿)をしたのです。
エントリーをした動機は、その内容が、自分の興味のあるもので、内容が面白かったからでした。きっとこれを自分の所属する組織の人たちが読んだら「へぇー」って思うに違いないと思って。だから、自分では積極的に想定していなかった人からの「ありがとう」は正直うれしかった。だからこそ、せっかく読んでくれたのなら、一言でいいから感想や寸評を入れてほしいなって、思うんです。
感想や寸評交じりの「ありがとう」は、執筆者への最高のお礼になるんじゃないかな、と。
で、思い出したのは広報駆け出しの頃の話。「ありがとう、は世界を変える」と信じてやまなかった私は四方八方に「ありがとう」を連発していました。お店の人にはありがとう、改札の人にもありがとう、受付の人にありがとう。ある日、私が手がけたとある業界トピックで専門紙が記事をでかでかと載せていたので、意気揚々と受話器をとり、執筆記者に大きな声で「ありがとう!」と言ったら、
「君のためにかいているんじゃぁないよ」
と叱られたのです。
そうそう。記者は、私のために記事を書いているわけではないんですね。そのトピックが、読者や視聴者に知らせる意義を見出したから報道するのであって、少しくらい仲が良くったって、そんなことだけでは筆力が上がったりはしないんです。ほんとうですよ。ねぇ?
だから、作戦を変えました。
お礼を目的にするのを、やめたのです。
感想を述べることにしました。
しかも赤裸々に。(どんなときでも紳士的に、ですよ)
それをしばらく続けていると、大変不思議なことが起きます。
記事が出ると、相手が電話をしてくれるようになってくれるんです。時には直接会いにも。
とある元雑誌記者の方とこの件についてお話を聞いたところ、その方の本音は「(特に)紙媒体の場合、自分が書いた原稿がどのように読まれたのかがさっぱりわからない。だから、感想とかフィードバックをもらえるとすごく励みになる。」ということでした。
実は広報の重要な役割の一つは、記者のアウトプットをしっかり把握して、個別にフィードバックをすることなんですね。もちろん、感想を述べた後に「ありがとう」を付け足すのは、悪いことじゃないですよ。