【少年野球】本当はどうであるかではなく、審判の判定によってゲームは進められる。
イチロー選手、メジャー2,000本安打、おめでとうございます。
<本エントリーは、初夏に書き上げましたが、諸般の事情で寝かしっぱなしにしていました。イチロー選手の偉業達成に触発されて、公開します。>
以前、イチロー選手の、
「さっきのはボールだった、とかそういうことを審判に言っても自分にとっては絶対にプラスには働かないんですよね。」
というプロフェッショナルな選手の姿勢についてご紹介をしました。
今度は少年野球の話ですが、ついに私も審判役をやることになってしまいました。経験もないのに無茶な、と思いますが、コミュニティ活動でわがままは許されません。やるのだといわれれば、やるしかないのです。
さて、実際に審判と選手と、そのゲーム自体の構造を俯瞰してみると、そのゲームの進行自体は、完全に審判の判断によって進められる、というもの。つまり、たとえ本当は、物理的にベースを先に踏んでいたとしても、アウト、といわれればアウト。
最近はビデオ判定などというものもありますが、まず少年野球にこんなものはありません。審判がアウトと高らかに宣言することで、そのプレイはアウトになっていくのです。もちろん、公正な審判があってしかるべきですから、毎度、公正なジャッジをするべきであるというのは当然です。決して、「さっき、判定ミスしちゃったから、今回はおまけ判定で行こう。」などと思ってはいけないのです。そしてしかし、本当はどうであったかではなく、審判がどう判断したかによってゲームは進められます。つまり、審判がいわば、ゲームの進行役そのものになっていくのだと理解するようになりました。
さて、ジャッジという行為は、ビジネスでも日常的に行います。私も日々、スタッフや本社や経営陣から上がってくる(下りてくる?)様々な案件をジャッジしています。もちろん、アウトやセーフのコールをするわけではなく、「この案件はこの四半期のイニシアティブとアラインして、Aさんと調整をし、こういうメッセージでこのように展開しよう。」とか、戦略広報らしいジャッジを行っているわけです。その一つ一つのジャッジを、迅速に、かつ正しく行うことがゲームを円滑に進行することにつながるのです。ジャッジとは、ビジネスの進行役でもあるわけですね。
本日の提言【勝手編】
ジャッジなくして、ゲームは進まない。