巨人の星とWBC。ニューヨークタイムズの描く、日本熱狂の真実
今朝の日経新聞や、電車の中で隣の人が読んでいたタブロイド紙をみました。
日本はWBCに熱狂している。メジャーリーグからは20勝以上あげている投手が参加していない大会に、日本は総力を上げているという主旨のもの。
イチロー氏のコメントでは、
W.B.C. is absolutely not something you approach with the mind-set that it’s just an exhilarating way to prepare for the regular season. This is a bona fide competition to decide who is the best among the world’s professionals. I feel a great responsibility to help nurture this tournament into an important piece of baseball’s fabric for future generations.
WBCはレギュラシーズンに備えた調整・盛り上げのための手段ではなく、世界のプロ同士がぶつかり合う真剣勝負の場なのだ。私はこのトーナメントを通じて、野球の未来を担う世代を育むことに重要な責任を感じている。(一部意訳)
としています。未来視点の、大局的なコメントでした。(イチロー氏はやっぱりすごいなぁ)
私は日本語報道をみて、はじめは日本バッシングの批判記事かと考え、巨人の星まで持ち出すとはなんとアナクロでステレオタイプな。と憤りを感じました。
しかし、NYタイムズ原文では、日米の温度差がどこにあるのかとその解説を目的としているものと読み取っています。
メジャー20勝投手が参加していない、という記述は、そもそも、野球の考え方そのものが違うということを示唆しています。2006年の同紙の記事では、日本の「Yakyu」を絶賛する内容が掲載されました。
メジャーリーグはスポーツであり、エンタテイメントであり、ビジネスでもあります。お金を産まないWBCになぜ協力をしなければならないのかと、米流合理思考では、参加するというアクションになかなか結びつかないでしょう。
しかし、イチロー氏のコメントはそれを超越しています。「野球とは、生き方である」とも読み取れる視点は、現在のメジャーリーグでは持ち得ない、あるいは、持っていても評価されない視点なのかもしれません。それを筆者は温度差の要因のひとつとしてみているようです。
さて、日本語報道はずいぶんと「何を言うアメリカ」的なものでした。今回のニューヨークタイムズの記事、唯一の失敗は、「巨人の星」を持ち出したことだと思います。筆者ご本人は、日本がYakyuに熱狂するその洞察共有のつもりだったようですが、ちょっと古すぎませんか?
今のメジャーの世代、あるいはWBCキャンプに連日詰め寄る数万人のファンが今オマージュとして持ちうるのはむしろ「メジャー」の方でしょう。この時代、強大な大リーガーを夢の対戦相手として見るのではなく、同じ目線のよきライバルとして見ることのほうが自然ではないかと。
日本人が世界で活躍して、野球に優れた民族であると理解しているからこそ、アメリカよ、もっと真剣にやれ、と言っているように私は読み取ったのです。