一番好きな日本料理
ばんちょーさんのお題に挑戦です。
お題は、今ちょうどとってもはまっている「好きな日本料理」。
さて、私はといえば、話せば長くなる諸事情によってとっても日本酒がマイブーム(古いかっ)。
日本酒といえばそう、お魚です。オサカナ。ということで、「今、一番好きな日本料理」は、
お魚です
ん?しかしお魚は生き物であって、日本料理ではありません。なのでもう少し具体的に。
バチマグロの刺身をわさび醤油で。(本マグロもOK)
それから、なんと、「ホヤ」。14年前に食べたのが最後だったのですが、そのときはNG。しかし、時は人を変えるのだと、最近再度チャレンジしたら、すごくおいしい。甘くて、うまみたっぷり。海のパイナップルって、こういうことだったんですね。
焼き物は、カンパチのカマ、うるめ鰯、ハタハタなど、他にもたくさん、総じて魚貝類なのでした。
さて、ここのところ実はWeb2.0-->PR2.0の研究(勉強ともいう)をしている関係で様々なツールを駆使して、コミュニティに参加などしているわけです。その研究とは無関係に、他のSNSでコメントしたことを引用しながらちょっとだけお話を膨らませてみます。
今回私はお魚が好きであると書きましたが、これは過去から未来永劫そうだ、というわけではありませんし、また、お魚は絶対にうまい、というコトを言っているわけではありません。あくまでも、「今」そう思う、ということなのです。
----他のSNSでの自分のコメントの引用(一部編集済)---
(民放)テレビの受け売りですが、とあるアフリカの地元人が来日したときに味噌汁を食べてもらったら、「泥水のようだ」と顔をしかめていました。
また、シンガポールから来日した私の知人を、東京で人気の四川料理に連れて行って麻婆豆腐他いろいろ食べてもらったら、「辛さが足りない」との評。バングラデシュ生まれの知人に日本のカ レーの感想を聞いたら「食べられたものじゃない」と。アメリカから来日した知人二人と霜降り充実のお肉を食べに行ったら、一人は絶賛し、もう一人は脂っこい との感想。
つまり、味覚は十人十色なのでしょう。帰納的に言えば、万人が必ずしも同じ感想を共有できないことから、「うまい」と感じるのは、主観的である、ということなのだと思うのです。
私はラーメンが大好きです。しかし、友人知人から「おいしいから食べに行こう」と連れて行かれた結果、その感想が事前に醸成された期待値を超えることはナカナカありません。事前の「うまいぞぅ」という情報によって勝手に脳みそが期待値をあげてしまうからなのでしょうね。
・・・目新しいことを記述しているつもりはありません。しかし、この切り口になにかコミュニケーションのヒントのようなものが芽生えたのです。
昨日読んだ「すごい議論力」という本では、期待値を実力以上にあげてしまうよりも、等身大で勝負したほうが相手の満足度は上がる、と指摘されています。人の主観に働きかけるコミュニケーションは等身大で。この方が、関係を継続して深めるのに有効なのかもしれません。(推測)
同書では、シャーロックホームズのセリフにも言及し、「個人はパズルのように複雑だが、集団になると統計的に予測できる行動を必ずとる。」(文意です。原文とは正確には表記が異なるかもしれません。)としています。
PR2.0が目指すインタラクティブなコミュニケーションには、オープンで、等身大のインタラクティブなコミュニケーション力が必要とされます。(と、理解しています)私たちの姿勢がオープンでインタラクティブであることは必要条件。さらに統計的な知力も加わって---これができれば、私たちの目指す次の未来・・・きっと、ドン・タプスコット氏が提唱したデジタルチルドレンの世代・・・はすごく面白くなりそうだと期待しています。
余談ですが、こうした時代のうねりの中に自分がいることを楽しんでいるわけです。(バリバリっと「時代」の壁が剥がれていく感覚。あ、これは主観的表現ですね。)
日本料理の話から遠ざかってしまいました。