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もしも洞察力があったなら……。

地球人という考え方(その1)

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はじめに

仕事であり、性分でもあるかもしれませんが、私はマスコミの方々をはじめ、様々な見識の方々と本質的な議論を積み重ねることによっていろいろなことが見えてくると考えています。もちろん議論は相手や内容によって、相互に意気投合することもあれば、そうでないときもあります。そして、こうしたことが、双方の洞察を深めるために必要なI/Oなのだと考えています。

地球人という考え方

さて、先日、とある新聞社の記者の方と「日本とは何か」というテーマで議論をしました。

最近では英エコノミスト誌で投資対象として魅力の薄れた日本は先進国のお荷物、JAPAiNとして揶揄されました。日本のメディアも昨年から、海外の多くの投資がジャパン・パッシングをしているのだと、話題にしています。投資、つまり成長への期待という側面で捉えると、日本の成長は見込めないという評価。それは本当なのでしょうか。日経ビジネスが1月に行った緊急提言では、その根幹は経済そのものではなく、メッセージを醸成できない現政策にあるのだとレポートしています。21世紀以降の日本のはどこへ向かうのでしょうか。

ステイクホルダーは私たち自身なのですから、とても大きくて重いテーマです。散漫になるリスクを恐れることなく、考えを共有したいと思います。

傍白--NHKの「英語でしゃべらナイト」という番組で、3月の半ばにオラクルがフィーチャーされました。この外資系企業で奮闘する日本の社員を映像に映しながら、クリスペプラー氏が「がんばれ、サムライ・スピリッツ」ということをナレーションします。サムライ・スピリッツって、なんだろう?日本人のアイデンテティを構造化するとしたら?日本人が発信すべきメッセージは何だろうか?などと思いをめぐらせたのがこの議論の始まりのように思います。--

日本とは、日本人とはなんでしょうか。世界有数の経済大国を築いた日本企業とは。かなり重たいテーマになってきました。重過ぎるかもしれません。ですので、まずは日本ではない箇所から見て行きたいと思います。

卑近な公式情報を基に、グローバル・カンパニーを思考してみます。
例えば、31年前に創業したオラクルは起業こそ米国なれど、いまや社員約8万名のうち、実に25%(約2万名)はインドの開発拠点が中心となっているなど、米国拠点ではない社員が増えているのがトレンド。これはつまり、経営の視点では、単一国の成果に依存しないオペレーションを確立してきた軌跡そのものなのです。トーマス・フリードマンが、「世界はフラットだ」と気がついたとき、すでに企業はグローバルカンパニーという考え方を用いて、どんどん国境を取り除き、従来の「国」とは異なるくくり方をしてきました。

*一つの例がLOB(=Line of Business)。そうすると、例えば世界150カ国で製品を販売するような企業体では、国別ではなく、開発、営業、マーケティング、広報、ファイナンス・・・などなど、単一国に必ずしも依存をしない事業ユニットを形成し、事業ごとに目的、目標・評価を設定することが可能になります。そして、各事業ユニットの成果を数値化し、まるで車のダッシュボードで経営の動向を見るのです。スピードが出すぎていたらアクセルを緩め、障害物があればハンドルを切り、交差点で信号が赤ならブレーキを踏む、燃料が切れそうだったら給油する、という具合です。

資本主義の原点から突き詰めると、企業経営は総体として利益を出し続けることが主たる目的となりますね。アメリカでよくても、そのほかの国でマイナスでは利益が出ませんし、ヨーロッパでマイナスでも日本が好調ならその穴埋めを行うことができます。ほとんどの企業がどうやって利益を出していくのかを日夜試行錯誤しているのです。国単位で経営が独立してしまうと、世界的に見て業務が重複するなど、無理や無駄が多くなってきます。グローバルカンパニーはこうした無理、無駄をできるだけそぎ落とした、脱メタボリック経営を目指しているのです。

*日々の運動や食生活、生活習慣の改善が重要なファクターになっているのは、人も企業も同じですね。

さて、新聞記者との会話に戻していきましょう。

当該記者は私に「日本はどうなるんですかね?」と聞きます。すかさず私は、「これからはグローバルな視点で捉えることも必要です。ビジネスに国境(という障壁)はどんどんなくなっていくんですよ。」と答えます。記者は「でも、戦争はなくなりませんよね?それは国益を優先しているからでしょう?」この座標軸を変えた投げかけは、私をグラッと揺さぶりました。

経済ではグローバル化を唱え、実現できるのに、なぜ人は国益を優先するのか。経済と政治では話の次元が異なる、という人もいます。しかし、国益を優先して内需を拡大することで、その国の人々は潤うとしたら。私たちは一様、日本の人の多くは、日本市場が活性化し、潤い、再生していくことを望んでいるように思います。これはつまり、私たちは、「日本」に経済的にも、精神的にも帰属することを自ら強いているからではないでしょうか。

少々の飛躍をします。ここからは、ドラえもんの「もしもボックス」の登場です。
もし、「日本人」、という考え方をさらに2つ上の階層(日本人->アジア人->地球人)が、「地球人」(Global人)という考え方ができたとしたら、私たちは地球規模の経済、政治を考え、地球人のために潤うことに取組みはじめるのではないでしょうか。もしも地球人として、「国益」ではなく、「星益」を考え始めたら、例えば地球温暖化を始めとする環境への課題は、地球人のためのアジェンダとして、より明確なプロジェクトになるのでは・・・。うむむ。話がかなり大きくなってしまいました。

これより大きく視点を展開すると、ほとんどSFになってしまいます。「日本」出身の地球人であれ、ということか。

*映画「スターウォーズ」で惑星はまるで国か街のような規模で表現されていました。(寒い星、砂漠の星、ジャングルの星、火山の星など。)このくらいスケールが大きくなると、今の「国境」は、県境程度に感じられるのでしょう。

次回予告:地球人という考え方(その2)

 


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