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”情報通信テクノロジは人々を幸せにする”を信条に、IT業界やアジア・中国を見つめていきます。

人間関係も社会も宇宙も「波」と「渦」と「振り子」でできている

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人間関係の悩みはありませんか?

なんで、あの人とは妙に話が合うのに、別の人とは会話の最初の三分で「あ、今日はだめだ」と思うのか。なんで距離が縮まったと思ったら、急に離れるのか。なんで同じようなもめごとが、相手を変えても部署を変えても家族の中でも国際政治でも、何度も何度も繰り返されるのか。

もっと言うと、なんで人間社会はあんなに面倒くさいのか。

この問いに対して、心理学、社会学、脳科学、いろいろな答え方があります。どれも大事です。ただ、今日はもう少し大きな視点から、かなり乱暴に、しかし意外と本質を外していない見方をしてみます。

この世界は、だいたい 波と渦と振り子 でできているのではないか、という話です。

もちろん、これは数学の定理です、と言いたいわけではありません。そこまで言うと大げさですし、厳密な物理法則をそのまま人間関係に貼り付けるのも乱暴です。でも、自然界を見渡すと、エネルギーや情報や運動が見せる基本的な振る舞いは、驚くほどこの三つに収束します。しかもその三つは、キッチンの排水口から銀河まで、量子の世界から国際情勢まで、何度も何度も顔を出してくる。

つまり、私たちはカオスの中で生きているように見えて、実はかなり限られた「型」の中で右往左往しているのかもしれません。

今日はその話を、できるだけ面白く、しかし適当すぎないように、科学的に説明できる範囲を守りつつ、宇宙から人間関係まで一気に眺めてみます。

まず最初に、今日の主役である三人組を紹介しておきます

  • 振り子
たったこれだけです。

まず、波とは何か

波というのは、ざっくり言えば、何かが伝わっていく現象です。音もそうです。空気の圧力の変化が隣へ隣へと伝わっていく。水面の波もそうです。水そのものが岸までそのまま移動してくるというよりは、表面の変形が伝わっていく。光も波として扱えますし、地震の揺れも波です。現代物理では、重力波まであります。宇宙のどこかで巨大な質量が激しく動くと、その影響が時空のさざ波として伝わっていく。 波の本質は、「差があると、それが広がる」というところにあります。温度差、圧力差、濃度差、電位差。差があると、世界はそれを放っておかない。何らかの形で、なだらかにしよう、均そうとする。その過程が波として現れることが多いわけです。少しだけ理屈っぽく言うと、勾配があると流れが生まれる。勾配が空間を通じて伝播すると、波っぽくなる。 つまり波とは、「伝わる世界」の基本モードです。

次に、渦です

渦は、伝わるというより、巡るものです。流れがぐるっと回り、自分の周囲を回り込み、閉じた循環をつくる。台風、竜巻、海流の大規模なエディ、コーヒーをスプーンでかき混ぜたときの流れ、排水口の水の巻き込み、煙の輪っか。どれも渦です。 渦の本質は、「回転して閉じる」ことにあります。波が前へ前へと進んでいくのに対して、渦はその場にとどまりながら、内部で運動を循環させます。物理では速度場の回転成分を渦度と呼びます。流れがどれくらい「回っているか」を測る量です。そこに角運動量保存が絡むと、一度回り始めたものは、なかなか簡単には止まりません。 子どもの頃にコマを回した人は多いと思います。なぜ倒れそうで倒れないのか、なぜ思ったよりしぶといのか。あれも回転が保存されているからです。渦も同じです。回転はしぶとい。だから台風はあんなに堂々としているし、木星の大赤斑なんて何百年も生き残る。まるで惑星規模の「俺はここで回り続ける」という強い意志を感じますが、もちろん意志ではなく保存則です。自然界は思ったより頑固です。

そして三番目が振り子です

振り子は、行ったり来たりするものです。時計の振り子、ばね、電気回路の共振、景気循環、世論の揺り戻し、流行の再来、集中と分散の行き来。こちらも身の回りに山ほどあります。 振り子の本質は、戻そうとする力と、行き過ぎる慣性の組み合わせです。真ん中に戻ろうとする。けれど勢いがついているから、そのまま反対側まで行ってしまう。すると今度はまた戻される。その繰り返しが振動になる。たとえば単振動は、きれいに書けば二階の微分方程式で表せますが、そんな式を書かなくても、要するに「戻したいもの」と「止まらないもの」が喧嘩すると振り子になる、と思っておけばだいたい合っています。 人間もよくこれをやります。会議で自由にやろうと言い出して混乱し、次にルールを厳しくしすぎて窮屈になり、また自由に戻そうとする。組織はこの往復運動が大好きです。よく飽きないなと思いますが、飽きないのではなく、これが自然だから繰り返すのです。

ここからが本番です

本当に面白いのは、この三つが別々の箱に入っているわけではない、ということです。波と渦と振り子は、実はかなりしつこくつながっています。

まず、波は崩れると渦になります

理想的な波は美しい。教科書に出てくる波はだいたい美しい。正弦波で、なめらかで、規則正しい。けれど現実は、そんなに育ちが良くありません。境界がある。障害物がある。ノイズがある。場所によって速さが違う。すると波は歪み、前後で速度差が生まれ、やがて流れの一部が巻き始める。そうすると、そこに渦ができる。 海の波が砕けるとき、白い泡の中には小さな渦が山ほどあります。風がビルに当たると、後ろに交互の渦列ができます。煙がまっすぐ上がっていたのに、少し条件が変わると急にくるくるし始める。波はきれいなままではいられない。現実世界では、かなりの確率で渦に転ぶのです。

逆に、渦が並ぶと波のように見えることもあります

これはちょっと直感に反するかもしれませんが、交互に規則正しく並んだ渦の列は、全体としてみると波のようなパターンになります。大気や海洋には、そうした大規模なうねりがたくさんあります。つまり、「回っているものの集団」が「伝わっているように見える」。波と渦は、現場では意外と相互変換しているのです。

では振り子は何かというと、これはエネルギーのやり取りの最小単位みたいなものです

位置のエネルギーと運動のエネルギーが交互に入れ替わる。その意味で振り子は、「伝わる」でも「巡る」でもなく、「交換する」モードです。しかし、その交換が外へ放射されれば波に近づきますし、内部で閉じて循環すれば渦に近づきます。振り子は、波と渦の間に立っている交通整理係のようなものです。本人はただ左右に揺れているだけですが、世界全体の交通にかなり関わっている。

では、この三つが本当にスケールを超えて現れるのか

ここから宇宙へ飛びます。

まず銀河です

夜空を見上げると、遠い宇宙には見事な渦巻銀河があります。教科書や写真集に出てくる、いかにも「宇宙です」と言わんばかりの、あの美しい腕を持つ銀河です。あれは何か。渦です。もちろん、水や空気の渦と同じ方程式そのものではありません。しかし、角運動量を持った物質が重力のもとで回転し、薄い円盤をつくり、腕状の構造を生み出すという意味では、そこには明らかに回転の秩序があります。宇宙はスケールが大きくなると直線で押し切ってくるのではなく、いきなり堂々と回り始めるのです。 一方で宇宙には波もあります。重力波です。ブラックホール同士の合体などで時空そのものに生じた歪みが、光速で伝わっていく。人類はつい最近、ようやくそれを検出しました。宇宙は静かそうに見えて、実はかなり揺れています。 振り子に相当するものもあります。天体の軌道には共鳴や周期的な揺らぎがあり、複数の天体が互いに引っ張り合うことで、ある種の行ったり来たりのダイナミクスが生まれます。つまり宇宙の入口でいきなり、波と渦と振り子が出そろうわけです。ずいぶん豪華なオープニングです。

次に地球スケールに降りてきます

ここで代表選手は台風です。 台風はまさに渦です。暖かい海から水蒸気が供給され、上昇気流が生まれ、中心部の気圧が下がる。周囲から空気が流れ込む。そのとき地球の自転に伴うコリオリ効果が効いて、流れはまっすぐ中心に入れずに曲げられ、結果として大規模な回転構造ができる。 ここで誤解しやすい点があります。地球が自転しているから渦が生まれる、という言い方は半分正しいけれど、半分雑です。自転がなくても、流体は不安定性によって渦をつくります。だから自転は渦の唯一の原因ではない。ただし、地球規模の大きな流れを整え、一定方向の回転を持つ巨大渦を安定化させるうえで、自転は決定的に重要です。つまり「渦を生む」というより、「渦を組織化して育てる」と言った方が正確です。 大気には波もあります。ロスビー波のように、地球の回転と緯度方向の変化がつくる大規模なうねりです。気象図を見ていると、前線や偏西風がうねうねしていますが、あれも波です。さらに季節変動やエルニーニョのような振動モードもあります。地球もかなり忙しい。静かな青い惑星というより、波打ち、渦巻き、揺れ続ける球体です。

では、もっと身近な場所に戻ってみましょう。キッチンです

キッチンは偉大です。宇宙論の入口として非常に優秀です。 シンクの水を流せば渦ができる。コップの水面を揺らせば波が立つ。吊るしたお玉をちょっと動かせば振り子になる。たった数歩の範囲で三つそろいます。自然哲学のために大型望遠鏡は必須ではありません。排水口を見つめるだけでも、だいぶ世界の本質に近づけます。家族に見られると少し心配される可能性はありますが、そこは研究ということで押し切ってください。 日常流体の世界では、さらに面白いことが起きます。乱流です。 乱流では、大きな渦が小さな渦を生み、小さな渦がさらに小さな渦を生みます。エネルギーが大きなスケールから小さなスケールへ、だんだん受け渡されていく。この過程をエネルギーカスケードと呼びます。ここで「これってフラクタルなのでは」と言いたくなる気持ちはよくわかります。実際、統計的には自己相似っぽい振る舞いが出てきます。ただし、完全なフラクタルではありません。上には系のサイズという限界があり、下には粘性や分子運動、さらに量子の世界があります。無限に同じ構造が続くわけではない。でも、かなり広い範囲で「大きな渦の中に小さな渦、その中にさらに小さな渦」という、いかにも自然が好きそうな構図が現れます。 このあたりまで来ると、「自然って、けっこうしつこく同じことを繰り返すな」と思えてきます。

そこで、さらに逃げ道を塞ぐために、量子の世界に行ってみます

量子の世界では、物質は粒であると同時に波でもあります。波動関数は波です。電子や原子の状態は、ある意味で「広がった波」として記述されます。では渦はどうか。これもあります。超流動やボース・アインシュタイン凝縮では、量子化された渦が現れます。面白いのは、回転が連続ではなく、離散的になることです。古典的な流体のように「少しだけ回る」という曖昧さではなく、回るならこの単位、というきっぱりした世界になる。量子は細かいくせに、こういうところは妙に潔い。 振り子に相当するものもあります。二つの量子状態の間を行ったり来たりするラビ振動などは、まさに量子的な振り子です。つまり、最小スケールに逃げても、やはり波と渦と振り子は出てくる。宇宙は逃げ道をあまり用意していません。

ここまでの話を一段深く理解するうえで、もう一つ面白い視点があります

フーコーの振り子です。 フーコーの振り子は、振り子それ自体はただの往復運動です。ところが地球が自転しているため、振動面がゆっくり回って見える。つまり何が起きているかというと、「動いているのは対象だけではなく、見ている側の土台も動いている」のです。 これはかなり重要です。 世界を理解するとき、私たちはつい「何が動いているか」に注目します。しかし実際には、「どの座標系で見ているか」も同じくらい重要です。自分が立っている床が回っていたら、ただの往復も回転して見える。これを一般化すると、現実世界の多くの現象は、単純な円や単純な往復ではなく、螺旋として見えてきます。
  • 波だけなら、ひたすら前に進む
  • 渦だけなら、その場で回る
  • 振り子だけなら、同じ場所を行ったり来たりする
でも現実は、その三つが重なり、しかも観測の土台まで動いている。 だから現実は、前に進みながら、回りながら、揺れている。 つまり螺旋です。

この「螺旋」という見方は、社会や歴史を眺めるときにもかなり効きます

たとえばコンピュータの歴史です

集中と分散を繰り返してきました。巨大なメインフレームに集約し、次にPCで分散し、今度はクラウドで再び集中し、そしていまエッジコンピューティングやローカルAIでまた分散の方向へ揺り戻している。これはどう見ても振り子です。 しかし、ただ戻っているわけではありません。メインフレーム時代の集中と、クラウド時代の集中は同じではない。性能も規模もユーザー数も桁違いです。分散も同じです。昔のPCの分散と、現在のローカルAIやIoTの分散は別物です。つまりこれは単なる往復ではなく、振り子でありながら前進している。螺旋です。

ファッションもそうです

流行は広がる。これは波です。あるスタイルが社会に伝播していく。やがて一部の集団の中で凝縮し、文脈を持ち、内輪化する。これは渦です。さらに、流行りすぎると飽きられ、反動が来る。次は逆方向へ振れる。これは振り子です。そして何年かたって、少し意味を変えて戻ってくる。これも螺旋です。同じようでいて、同じではない。

国際情勢もそうです

グローバル化が進み、国境を越える流れが加速する。これは波です。ところが安全保障や国内世論や産業保護が強く意識されると、国益重視、主権重視へと揺り戻す。これは振り子です。その中で同盟、対立、サプライチェーン、規制のネットワークがぐるぐる回る。これは渦です。しかも以前の状態に完全には戻らない。ルールも技術も地政学も変わるからです。やはり螺旋です。

ここまで来ると、もうだいぶ怪しい方向に話を広げたくなります

「じゃあ全部これで説明できるのでは」と。気持ちはわかります。しかし、そこは少し冷静になった方がいい。 ここで大事なのは、「波と渦と振り子は宇宙の絶対定理だ」と強く言い切ることではありません。それはさすがに強すぎますし、厳密な数理の世界に対して失礼でもあります。 でも、「自然界で繰り返し現れる基本モードであり、複雑な現象を理解するための非常に有力なレンズである」と言うことはできると思います。なぜなら、差があれば伝播が起きるし、保存があれば循環が生まれるし、復元力と慣性があれば往復が生じるからです。これはかなり一般的です。系の種類が変わっても、媒質が変わっても、スケールが変わっても、この三つのパターンはしつこく出てくる。 つまり、波と渦と振り子は、「この宇宙でエネルギーや情報や関係が振る舞うときに現れやすい基本モード」だ、と言うことは十分にできる。

そして、ここからようやく最初の問いに戻れます

人間関係です。 なんで、ある感情は一気に広がるのか。 なんで、同じようなもめごとが何度も同じグループで回るのか。 なんで、近づいたり離れたりを繰り返すのか。 答えは、ある意味で単純です。 感情や空気や噂は伝播します。だから波です。 人間関係はネットワークの中で循環します。だから渦です。 距離感や信頼や権力関係は揺り戻します。だから振り子です。 職場でも、家庭でも、友人関係でも、ある人の機嫌が周囲に伝わることがあります。これは波です。一人の不機嫌が、なぜか会議室全体に広がる。特に理由は説明できないのに、場が重くなる。これはもう、ほとんど音波に近い。媒質が空気ではなく人間なだけです。しかも空気よりずっと面倒くさい媒質です。 一方で、同じ人たちの間でいつも同じような役割分担が回ることがあります。誰かが仕切り、誰かが調整し、誰かが反発し、誰かが黙っている。ある人が抜けても、しばらくするとまた似た構造が現れる。これは渦です。関係の流れが循環している。外から見ると、「またあのパターンか」と思うあれです。人間関係の渦は、排水口の渦よりだいぶ複雑ですが、しぶとさではいい勝負です。 そして、距離の問題です。近づく、離れる、また近づく。自由にしたい、でも不安になる。束縛されたくない、でも放っておかれるのも嫌だ。組織でも同じです。自由を求めて権限移譲し、混乱すると統制を強め、息苦しくなってまた自由を求める。これが振り子です。人間は、この運動が本当に好きです。少し学習してもよさそうなものですが、どうやら進化の途中でそこまでは最適化されなかったらしい。 もちろん、人間関係を物理方程式で解けるわけではありません。ナビエ・ストークス方程式を持ち出して上司との相性を説明し始めたら、かなり危険です。人間には意識も、記憶も、文化も、意地もあります。流体よりだいぶややこしい。でも、構造として似た動きが出るのは確かです。複雑な系では、構成要素が違っても、同じようなダイナミクスが立ち上がることがあります。そこに普遍性がある。 だから私は、人間関係を考えるとき、この三つのレンズは意外と役に立つと思っています。
  • これはいま、波なのか
  • それとも渦なのか
  • あるいは振り子なのか

誰かの感情が一時的に広がっているだけなら、波かもしれない。少し待てば抜ける。 同じ問題が何度も同じメンバーで繰り返されるなら、渦かもしれない。構造を変えないと止まらない。 意見が極端から極端へ揺れているなら、振り子かもしれない。いずれ逆に振れる。

こうして見ると、少し冷静になれます。少なくとも、「なぜこんなことが起きるのだ」と毎回宇宙に向かって叫ぶ回数は減るかもしれません。もちろんゼロにはなりません。宇宙に叫びたくなる日もあります。しかし、その宇宙自身もまた波と渦と振り子でできていると思えば、少しだけ仲間意識が湧くかもしれない。宇宙も大変だな、と。

銀河は回る。 重力は伝わる。 系は揺り戻す。 地球は波打ち、台風は渦を巻き、振り子は静かに往復する。 量子でさえ波であり、渦であり、振動する。 コンピュータの歴史も、ファッションも、国際情勢も、前進しながら、回りながら、揺れている。

そして、そのただ中で、私たちは毎日、誰かと話し、すれ違い、近づき、離れ、またつながろうとしている。

宇宙は遠いようでいて、案外、会議室の中にあるのかもしれません。 銀河の腕と、組織図のねじれと、家族の空気は、スケールこそ違えど、同じような型を帯びることがある。 そう思うと、世界は少しだけ統一的に見えてきます。 少なくとも、「自分だけがこんな面倒なループにはまっているわけではない」と思える。

それだけでも、だいぶ救いです。

最後に、今日の話を一行でまとめます

人間関係も社会も宇宙も「波」と「渦」と「振り子」でできている

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