[フロー体験] 取りあえず始めてみれば、夢中になる
私は自然が好きなので庭仕事も割と好きです。
「虫が怖い」のと、「花粉アレルギー」なので、いろいろな言い訳をしてやり過ごしていますが、雑草が勢いよく伸びてくるこの時期はさすがに見ない振りも出来なくなります。
そこでホームセンターに花の苗と土、肥料を買いに出かけます。取りあえず早朝から草を抜き始めますが、いったん始めるとあっという間に昼過ぎになっているのです。花壇を見ると、それなりに鑑賞できる状態になっているので相当な作業量のはずなのですが、まるで一瞬の出来事のようです。
ただ作業中は楽しさを感じることはほとんどありません。
しかし不思議なことに終わるとなぜか満足感でいっぱいなのです。
庭仕事を始めるとつい我を忘れ、一瞬で時間が経過し、終わると満足している。
このプロセスが毎回繰り返されていました。
ずっと不思議に思っていたのですが、これは私が「フロー体験」をしていたようです。
心理学者のチクセントミハイが提唱しているフロー体験とは、時間が過ぎるのも忘れて何かに没頭し、その行為すること自体に没入することです。
フロー体験は、3つの条件が揃ったときに生まれます。
(1)適切な反応を必要とする、明確な目標に向き合うこと。
(2)すぐに結果のフィードバックが得られ、行為が成功したかが分かること。
(3)スキル(技能)とチャレンジ(挑戦)のレベルバランスが釣り合っていること。
挑戦レベルに対してスキルが低ければ余裕がなくてフローには入れません。また、挑戦レベルに対してスキルが高いのも、居心地はいいけれども没頭できずフロー体験に入れません。挑戦レベルとスキルレベルのバランスがとれていればフロー体験を実感することができるのです。
私の場合、庭仕事で3つの条件を当てはめると、
(1)ボウボウの庭を気持ち良い状態にすることが明確な目標です。
(2)除草して花壇に花の苗を植えれば、その場ですぐに行為の成功が分かります。
(3)私は庭仕事が上手ではないですが、ある程度頑張ればなんとか出来る仕事内容です。もしかしたら意外とスキルレベルと挑戦レベルがつり合っているのかもしれません。
そして人はフローを体験しているとき、自分の内面に集中していて幸せを感じる余裕はないのです。仕事をやり遂げて、振り返るときに、体験の素晴らしさへの感謝で満たされるのだそうです。
確かに、庭仕事の作業中はまったく幸せは感じることはないですが、終わると満足な気持ちになります。チクセントミハイは、ロッククライマーが岩登りによってフロー体験を実感する事例を紹介していますが、私の場合は庭だったようです。
チクセントミハイは、「学びの中でフローを体験することができれば、成長を促すことが可能になる」と言います
チャレンジングだと感じる勉強や仕事も、3つの条件が当てはまればフロー体験に導かれるのではないでしょうか。たとえばレポートも、最初の一行を書くまでが大変ですが、書き出してしまえば時間を忘れて数時間はあっという間にたってしまうこともよくあります。
仕事や勉強も、とりあえず始めてみるのがいいのかもしれません。
私の数少ないフロー体験が得られる庭ですが、アレルギーが出てしまうので結局人工芝にしてしまいました。人口芝って雑草が生えないのが楽でいいですね。
【参考文献】
M.チクセントミハイ『フロー体験 喜びの現象学』今村浩明訳,世界思想社 (1996年)